あいちトリエンナーレ2013 イベントレポート

トリエンナーレスクールリポート「原っぱと鉄の浮遊する粒子」

2012/12/19 10:09トリエンナーレスクール

 11月9日(金)、今回はいつもの愛知芸術文化センターから名古屋市美術館2階講堂に会場を移し、あいちトリエンナーレ2013の出品作家である青木野枝さん、青木淳さんのお二人をゲストとしてお迎えしました。テーマは「原っぱと鉄の浮遊する粒子」です。
 この日は開場前から入り口に長蛇の列、席を逃すまいと足早に並んだ人々で異様な熱気を帯びていました。また年代も幅広く、特に若い世代の方が多く来場されたのが印象的でした。お二人の人気の高さを物語っています。


241109school1.JPG

 

トリエンナーレスクールリポート「ビエンナーレがリヴァプール市へ与えたインパクト」

2012/10/30 21:14トリエンナーレスクール

 10月6日(土)、愛知芸術文化センター12階アートスペースAにて、リヴァプール・ビエンナーレを創設し、その芸術監督を務めたルイス・ビッグスさんを迎え、「ビエンナーレがリヴァプール市に与えたインパクト」をテーマにお話いただきました。

241006school01.jpg


  まず初めに、ビッグスさんがリヴァプールに移った際の、都市の状況について話しました。
 リヴァプールはロンドンに次ぐイギリス第二の都市として、貿易が盛んで国際的な雰囲気が特徴でした。しかし、1960年以降の経済的な衰退によって、内向きで単一的な文化になりました。ビエンナーレの創設については、当時「なぜ、財政的に厳しいリヴァプールで行うのか」と聞かれることが多かったそうですが、ある芸術家との会話の中で「リヴァプールを住みやすく良い町にするために何かをしたい」と話したことがきっかけになったとのことです。アートは小さなものでも大きな影響を与える力を持っている。アートの力で、人々に外に目を向けてもらい、同時に自分の住んでいる都市に誇りを持ってほしい、というのがリヴァプールで行う目的と語りました。


241006school02.jpg


 リヴァプール・ビエンナーレを手がける以前は美術館の館長を務めていた経験から、「美術館」という制度の限界を挙げられました。例えば、「建物」の問題です。美術館は建物の経費に予算全体の半分が費やされ、人件費などを引いていくと、アートにかけられる予算は全体の一割しかありません。もし、アートに予算の全てを費やすことができれば、より大きな仕事ができるのではないか。また、人々に建物まで来てもらうよりも、自らアートを届ける方が自由な仕事ができる、とビッグスさんは語ります。

 これまで多くの芸術祭を手掛けてきましたが、失敗経験などから学ぶことも多かったそうです。例えば、「当初は全ての作品を見てほしいと思っていたが、人々に長距離を移動してもらって作品を見てもらうのは大変だった」と過去の企画を振り返りました。そこで、2010年のビエンナーレでは、世界中の最先端の作家の企画だけではなく、地元に密着した作家の企画など複数のプログラムを用意し、来場者が好きなプログラムを見に行けるような工夫をしました。また、お祭りとしての雰囲気を出すために、建物の外、特にストリートを活用することも重視しました。

 こうした取り組みの成果もあり、リヴァプールは2008年に欧州文化首都(EUにより指定された加盟国の都市が1年間にわたり各種の文化的行事を集中的に開催する事業)に選ばれました。評価の決め手は様々ですが、このビエンナーレによって、リヴァプールが「国際的な祭典」を開催できる都市と認められたことが大きな要因だったとのことです。
また、市民の意識も内向きから外向きに変化しました。人々の交流も盛んになり、議論や話題の内容も豊かになったそうです。このようにして、リヴァプール・ビエンナーレはアーティストの育成や芸術の振興だけでなく、市民の意識をも変えていくことができている、とビッグスさんは語ります。

 会場からの「芸術に対する関心は人によって異なるが、どのような層に向けてプロジェクトを組んだのか」という質問に対し、「まず、人々に対象をアートや芸術だと考えさせない方が好ましいと考え、人々がその場所に来ればすぐに反応できるようなプログラムを組んだ」と答え、できる限り広い層へのアプローチを目指したことを強く語りました。



241006school01.jpg


 ビッグスさんは、「あいちトリエンナーレ2013」のキュレーターも務めています。このスクールを始め様々な機会を通じて、私たちも「芸術」だけでなく、「あいち」という都市について考えることがきっと多くなることでしょう。
(トリエンナーレスクール アシスタント 牧野駿吾)

 このスクールの様子はユーストリームのアーカイブでご覧いただけます。
 http://www.ustream.tv/channel/aichitriennale-ch2

 次回は、11月9日(金)18:00から名古屋市美術館2階講堂にて、あいちトリエンナーレ2013の出品作家である、青木野枝さん、青木淳さんをゲストとしてお迎えし、「原っぱと鉄の浮遊する粒子」をテーマに実施します。ご期待ください。


キュレータートーク ~トリエンナーレスクール「釜山ビエンナーレ2010を経験して」を振り返る(その3)~

2012/10/23 14:00トリエンナーレスクール

【あいちトリエンナーレの今後の展開】
 東谷さん曰く、メイン会場としての美術館があり、加えて倉庫があったこと、そして屋外の海辺が同時に使えたことが構成を考える上で好都合だったとのことで、この点では、釜山ビエンナーレの展開とあいちトリエンナーレには共通点があります。
 公立美術館の機能と、市などの行政単位で行われる芸術祭の機能とが互いに補完し合う関係が必要だと思います。美術館の展示スペースと、もともと美術作品の展示を想定していないような場所があることで、現代アートの持つ多様な可能性を展開しやすくなります。その一方で、その地域の美術を中心にして、いわば求心的に知識を蓄積している美術館の学芸員と、美術館に属することなく国内外のさまざまな場所とメディアで活動する芸術監督のような外部のキュレーターとの間に交流が生まれ、アイディアの交換が行われます。
 先に述べましたように、芸術監督を置くことで芸術祭の形は毎回異なります。一方で形を変えながら存続し続ける、という一見矛盾するような課題を芸術祭は持っています。この課題をこなしていくには、怖がらずに外部の力を受け入れていく寛容さと、その新しい外部の力を生かしきるその能力が、美術館のような既存の施設や都市、そして人に試されていきます。結果、変化することを恐れず、困難にぶち当たりながらも、柔軟に受け止めていく経験を繰り返していくうちに、その都市はしたたかなものとなり、確実にバージョンアップすることができるように思います。ビエンナーレの存亡の危機すらあった、イタリアのヴェネツィアしかり、ドイツのカッセルしかり、そしてフランスのリヨンしかり。ヴェネツィアも、カッセルも、芸術祭の観客動員数は増え続けています。

なお、講師でご登壇いただいた東谷隆司さんは、2012年10月16日にご逝去されました。謹んでここにお悔やみ申し上げます。


キュレータートーク ~トリエンナーレスクール「釜山ビエンナーレ2010を経験して」を振り返る(その2)~

2012/09/28 20:23トリエンナーレスクール

【スクール概要~釜山ビエンナーレ、そして比較の対象としての光州ビエンナーレ~】
 今回のトリエンナーレスクールの講師は、2010年に韓国の釜山ビエンナーレの芸術監督を務めたインディペンデント・キュレーターの東谷隆司さんです。東谷さんはインディペンデントとなる前には、世田谷美術館、オペラシティアートギャラリー、横浜トリエンナーレ2001スタッフ、そして森美術館での学芸員を経験されています。

0824 triennale school 036.jpg

  東谷さんが最初に釜山ビエンナーレに関わったのは、2008年のことです。その年の芸術監督の指名を受けて、日本人のアーティスト7人を紹介するゲストキュレーターとして関わりました。そのこともあり、2010年には複数の芸術監督候補者から企画コンペの提出者の一人となり、結果的に芸術監督に選ばれました。釜山ビエンナーレにおいては、外国人で最初の芸術監督となったのが東谷さんでした。とりわけ、日本人が韓国の大規模な芸術祭をディレクションしたことは、両国の歴史的背景を考えても異例と言えるでしょう。
 韓国には大きなビエンナーレがもう一つ存在します。それは、1995年に始まった光州ビエンナーレです。国際的に見ても、釜山ビエンナーレよりよく知られています。観客動員数も100万人を超え、内容的にも話題になることの多いビエンナーレです。
 この光州ビエンナーレには韓国の現代史が色濃く反映されています。というのも、軍政をしいていた全斗煥が発した1980年5月17 日の戒厳令に強く反発した光州の学生と市民が、戒厳令の翌5月18日に軍部と衝突し、170人近くの死者を出したいわゆる「光州事件」の中心地だったからです。
 後に大統領にもなる金大中は光州広域市を含む全羅南道出身で、軍事政権下の韓国の民主化を押し進める活動家であり、現地での人気も高いものがありました。日本人にとっては、日本での活動中に、韓国に拉致されたことでよく知られる金大中氏は、光州事件の指導者の一人として軍事政権から死刑の判決を受けます。後に金大中氏は釈放されたものの、韓国国内のマスコミでもこの事件は、光州の市民が起こした暴動としてしか報道されず、それが軍事政権に対しての民主化運動と韓国国内でも位置づけられるには、1993年に就任した金泳三大統領が談話の中で、光州事件を正式に「五・一八民主化運動」と呼ぶまで待たなければなりませんでした。
 それを受けて1995年には、光州にて、この「五・一八民主化運動」を韓国の民主化運動の先駆けの象徴とする様々な記念事業、記念施設を立上げました。同年に始まった光州ビエンナーレも、その一環であり、アジア各国の中でも先行する芸術祭となりました。
日本では、1999年に始まる福岡アジア美術トリエンナーレが、アジア限定であるものの最初の本格的な国際芸術祭となります。その直後の2000年に越後妻有アートトリエンナーレが始まりました。ちなみに横浜トリエンナーレの開幕は2001年。
 韓国では2000年からソウル市立美術館で、二年に一度のビエンナーレタイプの先端芸術祭であるメディアシティソウルが始まります。その次に、もともとは釜山の地元の作家が自主的に現地で行っていた芸術祭を「釜山ビエンナーレ」として国際化したのが2002年。現在の韓国では、これに光州ビエンナーレを加えた三つの芸術祭が、二年おきに9月に始まり、その入場者数や内容でしのぎを削ります。日本ではその実施年度を変えて、芸術祭がそれぞれ共存を図ろうとしていますが、韓国では同年の同時期にバトルを繰り返します。このようなところにも、両国の国民性が現れています。一方で、これは外国からの観光者を呼び寄せる戦略と考えてもいいかもしれません。
 さて、東谷さんが釜山ビエンナーレ2010の企画案として提出したのが「Living in Evolution / 進化の中の生」でした。アーティストや科学者に、そして誰の脳裏にでも訪れる、「わかった」「発見した」という個人的な発想が、人間の知的な進化に大きな影響を及ぼすことがあります。そうした現象にフォーカスを与え、進化と退化の中で我々が「生きている」ということを、アート作品を通して示す。これが東谷さんのコンセプトでした。
 釜山ビエンナーレ2010は9月11日から11月20日までの71日間で開催され、22カ国から作家が参加しています。作品の数は158。会場は釜山市立美術館をメイン会場として、二つの大きな倉庫と浜辺を用いました。18万人のチケット販売が目標でしたが、最終的に18万6千人のチケットが販売できた、とのことです。ちなみにチケットの値段は安価で日本円にして約700円。安価に市民に芸術を提供することが、このビエンナーレのポリシーでした。
 東谷さんが関わる以前、2008年までの釜山ビエンナーレでは、部門が大きく三つに分かれていました。「現代美術展」、「海の芸術祭」、「釜山彫刻プロジェクト」です。中でも1987年に始まった、浜辺に彫刻を設置する「海の芸術祭」は、もともと地元のアーティストが自主的に始めた展覧会が母体となっており、韓国の中でも美しいビーチに観光客の集まる釜山の作家のアイデンティティーともなっていました。

0824 triennale school 033.jpg

 東谷さんは2010の芸術監督を引き受けるにあたって、この三つを一つに統合しようと試みました。2008年にキュレーターとして関わった時に、一つのビエンナーレの中で部門が三つに分かれている上に、それぞれにキュレーターがいることが互いに衝突を起こしている、と感じていたからです。そのため各部門の芸術監督を一本化し、2010では6人の各国のベテランキュレーターに「アドバイザー」として参加してもらうにとどめ、キュレーターの実務は東谷さんと現地スタッフが行うことしました。日本語がよくできるスタッフが釜山にいたことも強みでした。
 3つの部門に分かれていたビエンナーレを1本化することには、地元作家の反発もありましたが、作品の性格に合わせて、その設置場所を美術館、倉庫、そして浜辺に分ける上では効果がありました。作家と作品の選定は実質、東谷さん一人で行いました。選んだ作家の半分以上のアトリエに赴きましたが、完全な新作は、既存の作品の展示に比して少なくしています。作家に新作を依頼するには、予算的には光州ビエンナーレにひけをとる釜山ビエンナーレでは難しかったことに加え、東谷さんは、自分自身が未見の作品を展示することには抵抗があったそうです。
 釜山は海に面した観光の町です。映画祭があり、各地から大勢の人で賑わう花火大会もあります。ビエンナーレもこうした観光資源化を意識せざるを得ず、東谷さんはビジュアル的にインパクトのあるものや、マテリアルのしっかりした作品を並べるように心がけました。

0824 triennale school 031.jpg

 光州では、先に説明したようなその出自の関係で、テーマが政治的であること、新しいアーティストを紹介すること、そして国際的であることにこだわり続けます。言い換えれば、光州には、むしろ釜山のような観光資源がないので、テーマ性と話題性で人を集める戦略を選択しているようにも見えます。その分、光州ビエンナーレは、その地の大きなアイデンティティーとして市民に親しまれています。
 東谷さんは、芸術監督として任命された後で各国を訪ねて入念に作家の調査を行い、おおよその出品作家を決めた後で、一年間、釜山に移り住みました
 最初、任命された時は、韓国で日本人が監督をするのか、といった危惧もありました。しかし、韓国の各地に言えることですが、釜山に愛着を持つ市民にとっては、ソウルから入ってきた人も、日本からきた人も、言ってみれば「よそ者」でした。その意味では、1年釜山に住み、釜山人になる、という東谷さんの姿勢は、釜山の市民に歓迎されたと感じることができたようです。
 東谷さんが釜山を拠点としたことも相まって、2010年の釜山ビエンナーレでは、比較的、釜山在住のアーティストをフィーチャーしています。100人くらいの釜山の作家のファイルを見て、実際に50人ぐらいのアーティストのアトリエを訪問しました。そして、そこから8人のアーティストを選出しました。これは、韓国人アーティストの中では高い比率となりました。
 韓国では人口も情報もソウルに集中しています。東谷さんが調査を始める前には釜山以外に住むキュレーターや批評家、とりわけソウルを拠点する識者に、釜山の作家の情報は届いていない状況でした。東谷さんは釜山のアーティストを積極的に取り上げるなど、地元の作家との関係を重視し、ビエンナーレに訪れる住人との対話も積極的に心がけたそうです。

 このスクールの様子はユーストリームのアーカイブでご覧いただけます。
 http://www.ustream.tv/channel/aichitriennale-ch2




キュレータートーク ~トリエンナーレスクール「釜山ビエンナーレ2010を経験して」を振り返る(その1)~

2012/09/28 20:12トリエンナーレスクール

 平成24年8月24日(金)、愛知芸術文化センターのアートスペースE・Fにて、釜山ビエンナーレ2010芸術監督である東谷隆司さんをゲストにお迎えし、「釜山ビエンナーレ2010を経験して」をテーマにお話しいただきました。

 当日の進行役を務め、かつ同企画の立案者でもある、あいちトリエンナーレ2013の拝戸雅彦キュレーターより、当日のトリエンナーレスクールの模様に加え、企画趣旨やあいちトリエンナーレの今後の展開などを、3回に渡って報告します。

【企画趣旨】
 あいちトリエンナーレだけがトリエンナーレではありません。たとえば、国内には十日町市を中心に新潟県内で広域に展開される越後妻有アートトリエンナーレがあります。そして、明治以降の日本の近代化の中で発展してきた港の部分と、新たな都市計画のもとで作られていった埋立地で展開される横浜トリエンナーレ。さらには福岡アジア美術館が主体となって、福岡という地政学的な位置づけを踏まえて、アジアの美術に特化して積極的に紹介してきた、福岡アジア美術トリエンナーレも魅力的です。
 また、前回の2010のトリエンナーレがあいちの定型になるわけでもありません。例えば、2001年に始まりこれまでに4度開催された、横浜トリエンナーレはどれもが異なっています。それは芸術祭が良くも悪くも、その時々の社会の情勢を強く反映するからです。同時に、その情勢に対する芸術監督の考えそのものが強く反映されます。政治や経済、歴史や文化が異なる国外に目を拡げてみれば、芸術祭は開催される都市の数だけ、そしてその回数分だけ、異なる姿を示します。他の都市で行われている三年おきのトリエンナーレや二年おきのビエンナーレを、このスクールでも積極的に紹介していくことで、それぞれの芸術祭の違う考え方を、聴講者の方々に知ってもらいたいと考えました。

0824 triennale school 007.jpg


前の5件 1  2  3