小学2年生から高校1年生までの参加者がそれぞれに、鉄板に絵を描きバーナーを使って切り出していきます。
2012/11/30 14:47 ニュース
2012/11/27 10:50 ニュース
Case study 5, South Korea:
Gwangju Biennale: http://www.gwangjubiennale.org/eng/
Mediacity Seoul: http://www.mediacityseoul.kr/
Anyang Public Art Project: http://apap2010.org/
Moderator: KIM Hong-Hee
このセッションは韓国のビエンナーレを集めて、それぞれの設立経緯や事業紹介がされました。
「光州ビエンナーレ」は、本フォーラムの共同主催者で光州ビエンナーレ財団会長のイ・ヨンウLEE Yongwooが、1995年の初回から163万人の来場があり、光州がアジアの中心的なビエンナーレとしてその名を馳せてきたこと、「メディアシティ・ソウル」は先頃閉幕した第7回目の芸術監督ユ・ジンサンYOO Jisangがナム・ジュン・パイクとマルセル・デュシャンを念頭にメディア・アートの「テクノロジー」が意味するところを問うテーマを説明。アンヤン市が主催する「アンヤン・パブリック・アート・プロジェクト」はキュレーターのぺク・ジスクBECK Jee-sookがロンドンに拠点を置く「Artangel」(http://www.artangel.org.uk/)やニューヨークの「Creative Time」(http://creativetime.org/)を参考例として創始された経緯をプレゼンしました。
Case study 6, Asia and its Margins:
Sharjah Biennial, UAE: http://www.sharjahbiennial.org/
Istanbul Biennial, Turkey: http://bienal.iksv.org/en
Ural Industrial Biennial of Contemporary Art, Russia: http://en.first.uralbiennale.ru/
Meeting Points, Arab World: http://www.hkw.de/en/programm/2012/meeting_points_6/meeting_points_6_68531.php
Moderator: HOU Hanru
ケース・スタディ最後はシャルジャ、イスタンブール、ロシア、アラブといった、中国やインドと並んで世界的な注目を集めている地域のビエンナーレのセッションでした。(本レポートはあいにくシャルジャのプレゼンまで。)シャルジャ・アート財団会長のフール・アル・カーシィミィHoor Al-Qasimiのプレゼンでは、中東では歴史が長い「カイロ・ビエンナーレ」(1984年設立)に続いて1993年に第1回「シャルジャ・ビエンナーレ」が開催された後、ドクメンタ11(2002)を見て変革の必要性を感じ、2003年に従来型の国別展示から個々のアーティストと作品に焦点を向ける転換を図った経緯が話されました。2009年に財団を設立以後、現在の体制に至ります。なお、来年3月から始まる次回の芸術監督は長谷川祐子氏です。
Biennial Representatives Meeting:
二日間に渡って開かれた一般公開の「ケース・スタディ」閉会後に非公開で行われたこの代表者ミーティングでは、フォーラムでも繰り返し議題に上ったビエンナーレの必要性、意義についてと、サステナビリティの問題、新たなビエンナーレのアライアンス設立の可能性について討議されました。アライアンスに対して寄せられたその役割や期待に関して、具体的に上がった点は以下:
・査証発行の代理機能を担う(実際、ケース・スタディ4のモデレーターMarie Le Sourd が事務局長を務めるブリュッセルに拠点を置く'On the Move'(http://on-the-move.org/)は一部地域のアーティストに対して査証の代理発行機関としての役割を果たしているとのこと。)
・センサーシップの問題を交渉・調停する機関としての機能
・国や地域を超えた財政支援機関としての機能
・事業のサステナビリティのサポート(財政的支援以外に、事業評価の外部諮問機関のような役割を担うなど)
・著作権許諾手続きのサポート
・アーカイヴ機能
・マーケティング戦略の情報交換
・オーディエンスの問題(誰のためのビエンナーレか)
・キュレトリアル・プログラムをはじめとする教育機関としての的側面(若手キュレーターが各ビエンナーレで経験を積むなどの人材育成)
この一連の議論のなかで、アーティスト抜きにこうした議論がなされていることに対する留意を求める意見があったことを記しておきます。多くのキュレーターやアート・プロデューサーといったビエンナーレ従事者が一同に会し、なぜこれだけの時間とエネルギーを費やしてビエンナーレに関する議論をするかといえば、そもそもそこにアーティストがいて、作品があるからです。ホウ・ハンルゥがフォーラム冒頭に増加し続けるビエンナーレの現状についてこう述べました。「中心を求めるのではなく、アーキペラゴ(群島)たろうとしている。アーキペラゴは集合的アイデンティティではない。大陸別の考え方ではアーキペラゴのように異種混合が起こらない。アーキペラゴはトランス・ナショナルである。」アーキペラゴ化したビエンナーレ時代を迎えた今日、「to artists put into the centre.(アーティストを中心に)」の精神は忘れてはならない大前提です。
最後に:
今日、時代と各地域の変化を速やかに反映した議論ができ、より人々と地域社会のなかで活動できるのは、美術館よりビエンナーレかもしれません。よく指摘されるのが「美術館は観客に足を運んでもらわなければならないが、ビエンナーレはアートが街と人々のなかに入っていく」という違い。しかし同時に、ビエンナーレには時代に対応する可変的な力があるからこそ、財政的・制度的なサステナビリティと、既存の文化制度とどう共存・連携を築いていくかが共通の大きな課題です。
なぜこの20年間、特にアジア地域でビエンナーレが急増してきたのでしょうか?再びホウ・ハンルゥの初日のリマークから引用します。「なぜアジアか?現実のシフトと政治的緊張が絶えず起こっているのが、このアジア地域だから。アジアはユートピア的な資質と現実の変化の板挟みの状態にあるのです。」アジアに限らずヨーロッパにもそうした緊張状態から必要に駆られて始まったビエンナーレがあることは「ケース・スタディ4 Emergent-Alternative」のセクションで報告されましたが、1980年代後半以降のアジアにおける絶えまない社会的・政治的変動が、シフトし続ける現実と社会の要請に応える新たな文化制度を、この地域内で必要としてきたことは確かです。第一回フォーラムのタイトル「シフティング・グラヴィティ」は、欧米中心的な近代化の目的論から自らを解放し、重心を複数に拡散する現代の文化的カルトグラフィ(地図製作)のシフトを象徴しています。これは2008年の第7回光州ビエンナーレ「アニュアル・レポート」の芸術監督を務めたオクゥイ・エンヴェゾーOkwui Enwezorが提唱してきた「Off centering」 (中心から離れるのでも新たな中心を作るのでもなく、「中心」という概念そのものから外れること)にも共鳴するでしょう。
今日のビエンナーレ/トリエンナーレは、もはや文化的流行や現象ではなく、美術館等とは異なる「文化制度」として、社会で果たす意義と役割があることが実感されました。しかし新旧どちらの文化制度も、アートに携わり、社会と歴史と人々と関わりあっていく存在理由に変わりはありません。競合や相反するものではないのですから、補完関係を築くように共存していく道も、今後さらに議論されるべきでしょう。
【開催概要】
会期:2012年10月27日-31日
会場:韓国光州市キム・デジュン・コンベンション・センター(10月30日はソウル市美術館にて開催)
主催:光州ビエンナーレ財団、ビエンナーレ・ファウンデーション、i.f.a.
共同監督:ウテ・メタ・バウアー、ホウ・ハンルゥ
開催実施:ビエンナーレ・ファウンデーション
World Biennale Forum No.1: Shifting Gravity
27-31 October 2012
Venue: Kim Dae-Jung Convention Center, Gwangju, South Korea
Organised by: Gwangju Biennale Foundation / Biennale Foundation / i.f.a. Institut fur Auslandsbeziehungen
Co-directed by: Ute Meta Bauer and Hou Hanru
Initiated by: Biennale Foundation
2012/11/26 13:10 ニュース
Case study 3, Architecture-Design-Infrastructure:
Shenzhen & Hong Kong Bi-City Biennale of Urbanism /Architecture, China: http://www.szhkbiennale.org/
Gwangju Design Biennale, Korea: http://www.gwangjubiennale.org/eng/gdb/
Guangzhou Triennial, China: http://www.gztriennial.org/zhanlan/threeyear/Thefourth/23/en/
Moderator: Ute Meta Bauer
ケース・スタディ2は、建築、デザイン、インフラストラクチャーに焦点を当てたビエンナーレのセクション。都市の流動性をテーマにしている「深圳&香港バイ・シティ・都市計画建築ビエンナーレ」は、2009年の回のチーフ・キュレーターを務めたオウ・ニンOU Ningがプレゼン。1997年にホウ・ハンルゥとハンス・ウルリッヒ・オブリストが共同企画した「Cities on the Move」が、グローバル化した時代の都市に焦点を当てて現代アートに枠組みを与えたメルクマール的な試みの展覧会であったことを参照し、カルチュラル・ツーリズム(文化観光)に駆られて開催されている多くのビエンナーレの持続性の問題とともに、「ビエンナーレは都市の諸問題を議論することはできても、解決できるのだろうか?」とビエンナーレの有効性についての問題提起をしました。
光州では、ヴェネツィア・ビエンナーレのアートと建築のように、アートとデザインのビエンナーレが毎年交互に開始されています。「光州デザイン・ビエンナーレ」のプレゼンは、前回2010年の芸術監督のひとりを務めたパイ・ヒョンミンPAI Hyungminが、テーマの「design is design is not design」の理念を紹介。'Named design' 'Un-named design'といった5つのサブ・セクションで有名性と匿名性のヒエラルキーを解体・並置した態度は、後半の討議でパイが述べた「人々は民主化のプロセスに参加したいのだ」というコメントにも表れていました。
中国の「広州ビエンナーレ」については、王璜生WANG Huangshengが登壇。中国におけるビエンナーレの位置づけと、美術機関や専門家との関係性について語られました。広州ビエンナーレは、廣東美術館を会場として2002年から開催されている中国では質の高いビエンナーレと評判ですが、プレゼンのなかで述べられた、ビエンナーレが美術館に足らない機能を補足するための文化イベントと認識され、あたかも美術館が上位、ビエンナーレが下位と思われているかのような中国の図式には、若干違和感を覚えました。美術館とビエンナーレは、異なる役割と事業評価基準をもった別の文化制度であって、優劣や上下の位置づけにはないからです。
Case study 4, Emergent - Alternative Biennials:
Emergency Biennale, Chechnya: http://www.emergency-biennale.org/
Kochi-Muziris Biennale, India: http://www.kochimuzirisbiennale.org/
Land Art Mongolia LAM 360°, Mongolia: http://landartmongolia.blogspot.jp/
Tbilisi Triennial, Georgia: http://www.cca.ge/triennial
Chobi Mela - Festival Photography in Bangladesh, Bangladesh: http://www.chobimela.org/
Moderator: Marie Le Sourd
ケース・スタディ4は本フォーラムにおいて最も興味深いセクションでした。まずはチェチェン共和国のその名も「エマージェンシー・ビエンナーレ」。インディペンデント・キュレーターのエヴリン・ジョアノEvelyne Jouannoによって、2005年第二次チェチェン紛争の只中で資金もなく設立された本ビエンナーレは、モスクワ・ビエンナーレに対するカウンター・パートたろうとする試みであり、また、ロシアによってつぶされた地域のアーティストに発表の機会を与えることを目的としています。マルセル・デュシャンに対する美術史的なリファレンスも意識しながら、大御所から若手までさまざまな参加アーティストの軽い小品をスーツケースに作品を入れて首府グロズヌイまで作品を運び、展示が行われました。パリのパレ・ド・トーキョーでも同時開催された本ビエンナーレは、以後スーツケースによる移動式のビエンナーレとしてウェブサイトで情報を発信しながら、ヨーロッパ、中東、北米、南米の11都市を巡回してきました。
今年12月12日にオープンを迎えるインド初の国際ビエンナーレ「コーチ‐ムジリス・ビエンナーレ」は、アーティストであり同ビエンナーレ財団の設立者でもあるリヤス・コムRiyas Komuが紹介。ケララ州政府文化事業部がビエンナーレ設立の構想を立ち上げ、ケララを拠点とするアーティストのコムとボーズ・クリシャナ=マチャリに相談を持ちかけたことに始まります。州政府のサポートもさることながら、アーティストがイニシアティヴをもって作り上げてきたビエンナーレだからこそ、地元のアーティストをはじめとする地域の協力が得られている様子でした。インドの現代アートは近年、国際的にも高い注目を集めていますが、アート・マーケット上での勢いが先行している感が否めないため、本ビエンナーレによってインドのアーティストがインド国内でいかに現代アートの場と言説を築いていくか期待されます。
もうひとつアーティストが創設したビエンナーレが、「インターナショナル・モンゴリアン・ランド・アート・ビエンナーレ」。ドイツ人アーティストのマーク・シュミッツMarc Schmitzがモンゴルで自作を展示する機会を得たことに端を発したビエンナーレです。背景には、2006年にノマディックなアイデアに基づいた「ウォーキング・ミュージアム―ランド・アート・ビエンナーレ・イン・モンゴリア」がモンゴル各地で開催されたことがありました。そこに1960年代後半に北米で興ったランド・アートに関心をもつシュミットがモンゴルの広大な自然環境に惚れ込み、ランド・アートの伝統の今日的な問題提起を意識しつつ、16か国30名のアーティストとゴビの地で現代のサステナビリティ、エコロジー問題、そして多様性の新たなヴィジョンを考えるアート・キャラバンさながらのプラットフォームを「ランド・アート・モンゴリアLAM 360°」と共に創設。そして2000年8月に「第1回ランド・アート・ビエンナーレ・イン・モンゴリア」が始まり、今年は第2回目が「アートと政治」のテーマで開催されました。モンゴルの多様な風景と遊牧の伝統を活かし、作品は毎回モンゴルの異なる場所に恒久設置されます。道路標識がないような見渡す限りの地平や岩地を、参加アーティストを乗せたバンがひたすら走り、寝食をともにしながら作品設置と展覧会が行われるビエンナーレのあり方は、60年代のコミューン・カルチャーと新たなエコロジーを実践する近未来のヴィジョンが融合したような、非常に興味深いものでした。
グルジアの首都トビリシで開催されている「トビリシ・トリエンナーレ」はアーティスト/写真家/キュレーター/クリエイティヴ・アドミニストレーターで、グルジア現代アートセンター等の設立者でもあるワトー・ツェレテリWato Tsereteliによって創設されました。国際的なアート・ディスコースの構築とともに美術教育の必要性も訴えている同ビエンナーレは、政府から正式認可されていない30の学校を招待するなど、多民族・多言語国家体制のなかでこぼれ落ちていきがちな人々と教育の領域に目を向けています。第一回の今年は、その態度を象徴する「オフサイド・エフェクト」というテーマで開催されました。
セクション4の最後はバングラデシュのシャヒドゥル・アラムShahidul Alamによって、「バングラデシュ写真フェスティバル」の短いプロモーション・ムービーによるプレゼンが行われました。アジアの最貧国のひとつと言われるバングラデシュは都市機能のインフラが十分に整っておらず、文化制度も発展途上にあります。そのなかで1981年の設立以来長い歴史をもつ政府主催の公的な(かつ地元作家からは官僚的と批判されてもいる)「アジア・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」とは対照的に、2000年の第1回から地域のなかで絶大な人気を獲得してきたこの写真フェスティバル「Chobi Mela」は、たとえば複数のリキシャの上に白い箱型テントを取り付け、その4面に写真を展示して街中を練り歩く移動式ギャラリーを行うなど、地域のなかで人々がアートに触れる機会を作っています。ちょうど筆者は今年12月1日にオープンする「第15回アジア・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」の日本参加キュレーターを務めていますが、実際、同ビエンナーレは絵画や彫刻といった従来の美術作品を前提として運営されており、出品既定に写真やヴィデオやインスタレーションのジャンルはありません。日本のように海外の先進国から参加するアーティストがそうした作品を出品することはありますが(機材や設置にかかる経費は参加国負担)、国内のアーティストだと規定外のために選考対象外になってしまうというダブル・スタンダードが問題となっています。「Chobi Mela」はドキュメンタリー写真やストレート・フォトが主流のようですが、公的な制度には組み込まれないバングラデシュのアーティストの作品と人々をつなぐ役割を担っているといえます。
先のチェチェン、グルジアのケースと同様、世界には国際的に知られたビエンナーレ・サーキットに対するカウンター・パートであろうとするビエンナーレがあることにも、私たちはもっと目を向けるべきでしょう。だたしそうしたビエンナーレは、ウェブサイト以外になかなか情報発信する手段を持ちあわせていません。そうした活動を知ることができる点で、こうしたフォーラムは有意義だといえます。
このセッションが他のメジャーなビエンナーレとの比較において非常に興味深いのは、緊急性・必要性の点から考えるときです。日中韓といった東北アジアのインフラ先行型ビエンナーレがカルチュラル・ツーリズムによって創始・駆動されているのに対し、こうした政治的・財政的に困難を抱える地域の新興ビエンナーレは、社会変革の必要性の下に開催されていることが分かります。「このビエンナーレには、社会を変える力があるのだ」という信念の下、財政的な後ろ盾はなくとも、アーティストやインディペンデント・キュレーターといった個人ができる範囲の力で創始してきたのです。でなければ紛争のピークや何もない平原のど真ん中やインフラがないなかで、とてつもない苦労を重ねてビエンナーレを開催する理由はありません。それが結果的に現金ではなく、物資提供やアーティストの作品提供といったサポートと、地域を超えた人々のネットワークを生み出し、小規模ながらも継続を可能にしています。事業のサステナビリティ(継続可能性)はどのビエンナーレにとっても課題ですが、インフラが整備されているところはビエンナーレの必要性「なぜやるのか?」の点がその理由となり、整備されていないところは政治的基盤と資金不足「どうやってやるか?」がその理由となります。同じサステナビリティでも課題の質が違うのです。違いはあれども、つまるところ最も重要なのは、ビエンナーレを開催する人々が必要性と信念をもち、その情熱を周囲と共有すること、そして地域社会の人々が、そのビエンナーレのオーナーシップを持つことです。また、アートに社会を変える力があっても、社会変革のためのビエンナーレではなく、美術史やアートの言説やアーティスティックな関心がビエンナーレ創設の動機の一端を担っていることも忘れてはならないでしょう。
2012/11/22 08:00 ニュース
Case study 1, Asia Pacific Part a:
Asia Pacific Triennial of Contemporary Art (APT), Australia: http://www.qagoma.qld.gov.au/exhibitions/apt
Biennale Jogja, Indonesia: http://www.biennalejogja.org/2011/
Biennale of Sydney, Australia: http://bos18.com/
筆者が昨年まで2年間客員キュレーターとして在籍したブリスベンのクイーンズランド州立美術館が開催している「アジア・パシフィク・トリエンナーレ(APT)」は、創始者のひとりでAPT設立当時副館長だったキャロライン・ターナーCaroline Turnerがプレゼン。1993年の創設当時、アジア・パシフィック地域に焦点を当てたビエンナーレ事業は世界でも他に例がなく、オーストラリア国民をはじめとする地域の理解をはじめ、現在とは全く異なる状況のなかで始まったと振り返りました。ターナーの「美術館はラディカルな社会変革の重要な手段になりうる」というコメントからは、アジア・パシフィック地域に根差して実績を重ねてきたトリエンナーレの重みが感じられました。
今年12月から始まるAPT7で20周年を迎える同トリエンナーレがアジア・パシフィック地域のビエンナーレの先駆者的な存在となってきたことは、続くインドネシアのアリア・スワスティカAlia Swastikaの「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」のプレゼンでも、「インドネシアのアーティストにとって、西欧とのコネクションは実際APTを通して行われてきた」と触れられました。なお、スワスティカは今年の光州ビエンナーレの芸術監督の一人でもあります。ジョグジャ・ビエンナーレは、1988年以降ジョグジャカルタで開催されてきた数々の文化事業を経て、2010年に国際化を図るべく、大きな転換を迎えます。政府の公的資金による運営ですが、独立した組織であるビエンナーレ財団が設立され、毎回一か国に焦点を当てるというユニークな学芸的戦略のもと、前回はインドが招待されました。次回は中東、そしてアフリカ、南米、パシフィックと招待国/地域が予定されています。
英国バーミンガムのIkon Galleryのディレクターで今年の広州トリエンナーレ(中国)の共同キュレーターでもあるジョナサン・ワトキンスJonathan Watkinsは、1998年の「シドニー・ビエンナーレ」で芸術監督を務めた際の経験をプレゼン。1973年に創設された長い歴史をもつ同ビエンナーレにおいて、ワトキンスが扱った「everyday」は90年代を象徴するテーマであったものの、3つの問題に直面したことが語られました。ひとつは有名なアーティストが含まれていなかったこと(現在では国際的に名をはせるアーティストが含まれていますが)。二つ目は会場が拡散しすぎたこと。そして三つ目が、カタログの表紙(ベアト・ストロイリによるアジア人のポートレイト)がオーストラリアと無関係に見えるという指摘があったこと。アジア化した近年のオーストラリアでは起こり得ない指摘であることから、三つ目は14年の時代の変化を感じさせます。
ケース・スタディ1-aはアジア・パシフィック域内におけるビエンナーレの歴史的背景を知るため初期に焦点を絞ったセッションでしたが、特にブリスベンのAPTとシドニーは歴史があるからこそ、近年の活動に至る紆余曲折をどう乗り越えてきたのか軌跡を知ることができなかったのが残念でした。
Case study 2, Asia Pacific Part b:
Shanghai Biennial, China: http://www.shanghaibiennale.org/en/
Taipei Biennial, Taiwan: http://www.taipeibiennial2012.org/#
Yokohama Triennale, Japan: http://www.yokohamatriennale.jp/
Kobe Biennale, Japan: http://www.kobe-biennale.jp/
Moderator: YAN Zheng
「上海ビエンナーレ」のプレゼンは、同ビエンナーレ事務局のディレクターであり、1999年から同ビエンナーレのリサーチを継続して『Shanghai Biennale Research』の著作を出版しているチャン・シンZHANG Qing。各回のテーマをスライドで紹介しながら、2000年の「Shanghai-Over the sea: a unique modernity」以降、ローカルなビエンナーレから国際的な事業へと転換を図ったとのコメントがされました。
台北美術館が開催している「台北ビエンナーレ」は同館のチーフ・キュレーター、チャン・ファン-ウェイCHANG Fang-Weiがプレゼン。1998年の初回から6回を経た2008年に独立した組織であるビエンナーレ・オフィスが設立されたこと、ならびに毎回必ず地元のキュレーターと海外のキュレーターによる組み合わせで美術館を会場とする「ヒューマン・スケール」な企画を行ってきた特徴を強調しました。
「横浜トリエンナーレ」は、横浜美術館館長の逢坂恵理子氏が登壇。前回2011年の展示風景を紹介しながら、1997年外務省の定期開催方針の決定から2011年第4回までの実績を、チケット販売など経済効果面の統計とあわせてプレゼン。国内では福岡や越後妻有とならんで国際的な認知度を築いてきた主要なトリエンナーレであることが確認されました。
「神戸ビエンナーレ」は、アーティストであり同ビエンナーレ芸術監督の一人を務めるたほりつこ氏が、2007年「art, people, town」、2013年「saku(咲く)」の各テーマに沿った多数の公募によって事業が展開されていることを紹介。なお、光州市と神戸市がこのたび友好都市提携に調印したばかりとのことで、矢田神戸市長も来韓し、フォーラム初日の開会あいさつで紹介されていました。
2012/11/19 13:51 ニュース
World Biennial Forum No 1: Shifting Gravity
http://www.worldbiennialforum.org/
飯田志保子
(あいちトリエンナーレ2013共同キュレーター)
2012年10月27日-31日まで、韓国光州市、オランダに拠点を置く非営利団体ビエンナーレ・ファウンデーション(http://www.biennialfoundation.org/)、 ドイツの文化外交機関として同国の国際文化交流を担う団体ifa(http://www.ifa.de/en/ifa/ziele/contact/)三者の共催により、世界各地のさまざまなビエンナーレ/トリエンナーレ従事者が会する「第1回ワールド・ビエンナーレ・フォーラム」が開催されました。数あるビエンナーレのなかでも、1995年の創設以来アジア地域で最も世界的な注目を集めるビエンナーレとして歴史を築いてきた光州が第一回目のホストとなり、ウテ・メタ・バウアーUte Meta Bauerとホウ・ハンルゥHOU Hanruの共同ディレクションの下「Shifting Gravity(シフティング・グラヴィティ)」をタイトルに掲げ、世界から22のビエンナーレのショート・プレゼンテーションと協議から成る6つの「ケース・スタディ」が二日間に渡って行われました。
プレゼンテーションとならび、過去20年で特にアジア地域でビエンナーレが急増した背景と文脈をより専門的かつ学術的に、運営形態の議論とは異なった政治的・社会的・文化的側面から考察するため、ワン・フイWANG Hui、ニコス・パパステルジアディスNikos Papastergiadis、シャンタル・ムフChantal Mouffeの3名がゲストとして招かれ、中国における民主化と社会体制の変化、マイグレーション、コスモポリタニズムについてのキーノート・レクチャーも各日行われました。また、初日最後にはハンス・ウルリッヒ・オブリストHans Ulrich Obristによる韓国のアーティスト、ムン・キョンウォンMOON Kyungwonとチョン・ジュノJEON Joonhoへの「News from nowhere」プロジェクト(http://www.newsfromnowhere.kr/)に関するインタヴューが行われたほか、二日目の最後にはレネ・ブロックRené Blockによる包括的なスピーチが行われました。ブロック氏が前館長を務めていたカッセル(ドイツ)のクンストハレ・フリードリチアヌムKunsthalle Fridericianumでは、2000年に同様のビエンナーレ会議が初めて開催されています。以後、各地で増加し続けているビエンナーレ事業に対する考察と、専門的なアライアンス設立の可能性に関して協議すべき点を提言した氏のスピーチは、二日間の一般公開プログラム閉幕後に非公開で実施された各ビエンナーレの代表者ミーティングの貴重なアジェンダとなりました。代表者ミーティングでは、本フォーラムに対する実践的な提言と今後の可能性について、実地に基づいた意見交換が行われました。
同時期韓国では、第9回光州ビエンナーレ、第7回ソウル・インターナショナル・メディア・アート・ビエンナーレ(メディアシティ・ソウル2012)、釜山ビエンナーレ2012が開催中。プログラム三日目はソウルに場所を移し、リウム・サムソン美術館、メディアシティ・ソウルの視察、ソウル市美術館のよるレセプション、4日目には釜山ビエンナーレを視察するオプショナル・ツアーもあり、非常に密度の濃い、充実のプログラムでした。
概要は以上で、ここ(次)からは各「ケース・スタディ」で特徴的だったビエンナーレを順にコメントして、全体の所感を記したいと思います。なかには、小規模で日本ではあまり知られていない地域で、政治的あるいは教育的な必要性に駆られて開催されている、非常に興味深い実践の事例も報告されました。