*English follows to Japanese.
チリ生まれ、ニューヨーク在住のアルフレッド・ジャー氏(Alfredo JAAR, 1956-)が、自身の作品制作のために、昨年12月10日に来日して名古屋の展示会場の下見と、仙台に足を運び被災地を視察しました。
ジャーは、私たちの記憶と悲惨な出来事のあいだに横たわる複雑な関係を、緻密で力強い作品によって表現するアーティストです。例えば、民族紛争や虐殺といった社会的な関心を集める事件をめぐって、どのようなイメージがやりとりされ、それが何を示しているのかについて鑑賞者の関心を向けさせるなど、入念なリサーチを必要とする作品が多いのも特徴です。今回も、地震が多いチリ出身であるゆえに東日本大震災についてかなり下調べをしたうえで来日しました。
石巻市では、キュレーターである住友文彦さんと東北大学大学院の吉川彰布さんとともに、同市内にある宮城県最大の仮設住宅地を見学しました。
ジャーは、いまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている方々が大勢いることに驚きを隠せない様子でした。さらに、彼は建築家であるのでそのコストとデザインについて強い関心を寄せていました。その関心は、設置を委託されている業者について、公正なお金の使い方をされているのか、といった面にまで向かっていました。本当に復興を支援するのであれば、そこで生活している人が快適に過ごせるようなデザインがもっと考えられる必要があるのではないかと考えたようでした。
その後、私たちは女川町へ向かいました。いまだに残されているコンクリートの基礎から横倒しになった建物は、十分に彼に津波の破壊力を伝えたようでした。周囲をすべて調べつくすようにして過ごし、じっくりと時間をかけて写真を撮影していました。建築家・坂茂さんの多層コンテナ仮設住宅を訪れ、さらに特別に女川写真センターへ入れていただき、がれきの中から回収され洗浄された写真、トロフィーや寄せ書きがなされたバレーボールなどを見せていただきました。
石巻市立大川小学校と南三陸町志津川の防災対策庁舎では、現場で起こった悲劇について説明を受けるとジャー氏は無言で、考え込むようにひたすら敷地内を歩き、その場の風景を写真に残していました。そこに置かれた花やクリスマスの飾りと、子供たちが居なくなった教室。既に日が暮れかけ、寒さがどんどん増していくなかで、ひとつひとつの建物を食い入るように見入っていました。
視察中は、静かに思索にふける場面も多かったですが、折にふれ口をついて出てきた質問は、地震の被害のみではなく、それを取り囲む社会や企業、政治との関係を探ろうとするもので、鋭い批評性を感じさせるものでした。今後そういったアイディアを彼がどのように来年の夏に展示する作品へと熟成させていくのか、今後の展開に大きな期待を抱かせます。
また、同行してくれた吉川さんはArchitecture for Humanityの日本における活動をおこなっている方だったため、建築と被災地の両方の事情に大変詳しかったのも大変ありがたかったです。この場を借りてお礼を申し上げます。
佐野明子(あいちトリエンナーレ2013 アシスタント・キュレーター)
アルフレッド・ジャー:
http://aichitriennale.jp/artist/alfredo_jaar.html(あいちトリエンナーレ2013ウェブサイト)
http://www.alfredojaar.net/
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Chilean artist, Alfredo JAAR (b.1956) came to Japan on Dec. 10th, where he visited potential installation sites in Nagoya, and then made his way to Sendai to see the local disaster areas.
With curator Mr. Sumitomo and Ph.D. candidate of Tohoku University, Akinobu Yoshikawa (specializing in Architecture), we drove to Ishinomaki City where we visited the largest temporary housing facility in Miyagi Prefecture. Alfredo was very much surprised that so many evacuees were still forced to live in these temporary units, with no place else to go and so little or hardly any financial support by the government.
Upon walking through the old area of Ishinomaki City, we witnessed traces of the tsunami waves that had reached up to the 2nd floor.
We then made our way to Onagawa City and visited the Container Temporary Housing facility designed by Ban Shigeru (Voluntary Architects' Network) and the Onagawa Photography Center. In the Photography Center, we saw many washed up photograph prints, trophies, and personal belongings that were waiting to be reclaimed.
Possibly the most heartbreaking experience for Alfredo was visiting Okawa Elementary School in Ishinomaki City and the Emergency Center in Shizugawa. After we briefly explanation the tragedies that occurred in each locations, he simply walked around the sites and captured the sceneries with his camera.
After visiting each site, Alfredo seemed to reflect on the things he had witnessed, and then occasionally share his thoughts and ideas with us, which were critically engaging and thought-provoking. It seemed like a promising start to his project.
SANO Meiko
Assistant Curator, Aichi Triennale 2013
Alfredo JARR:
http://aichitriennale.jp/english/artist/alfredo_jaar.html (Aichi Triennale 2013 website)
http://www.alfredojaar.net/