12月8日、愛知芸術文化センターのアートスペースE・Fにてトリエンナーレスクール
が開催されました。今回は、ロンドンを拠点に若手アーティストの活動を支援する英国チャリティー団体、アクメ・スタジオの活動に詳しいJulia Lancaster(ジュリア・ランカスター、以下ジュリア)さんとGraham Ellard(グラハム・エラード、以下グラハム)さんのお2人のゲストをお迎えし、『アーティストの制作環境を考える』というテーマでお話しいただきました。
今回が初来日ということで、開場早々に満員となった会場は、ゲストのお2人が着席されると、少し緊張した雰囲気に包まれました。
まず進行役のあいちトリエンナーレ2013の住友文彦キュレーターより、アクメ・スタジオの紹介や今回のスクールの趣旨などの説明がありました。
アクメ・スタジオは、1972年に創設され、40年もの長きにわたり、まちなかの使われていない倉庫やビルを、アーティストの為のスタジオとして格安で貸し出したり、新規にアーティスト用のビルを建てるなどの活動を行ってきました。著名なアーティストを多数含む、延べ5,000人ものアーティストに活躍の場所を提供し、ロンドンのアートシーンを、まさに下支えしてきた存在だそうです。
一方で、あいちトリエンナーレは、2つの美術館に加え、長者町などのまちなかを会場として展開されることが大きな特徴であり、あいちトリエンナーレ2010の終了後には、長者町などで、アーティストが地域に根付く動きもでてきていることを紹介しました。
芸術祭は、その開催期間中だけではなく、次の開催までの間に地域に何をもたらすかも大事であり、長年にわたり、アーティストの活動支援を継続して、しかも規模も拡大させてきたアクメ・スタジオのノウハウを学ぶことは、長者町などで動きはじめた活動のヒントにもなるのではないか、というお話をされました。
当初、今回のスクールのゲストスピーカーはアクメ・スタジオの最高責任者 Jonathan Harvey(ジョナサン・ハーヴェイ、以下ジョナサン)さんをお迎えする予定でした。しかし、今回はやむを得ない事情で来名いただけなくなったため、ジョナサンさんからのビデオメッセージが届けられました。、その中で、今回のゲストとしてお迎えすることとなった彼の同僚でもあるJulia Lancaster(ジュリア・ランカスター、以下ジュリア)さんとGraham Ellard(グラハム・エラード、以下グラハム)さんの紹介がされた後、ジュリアさんからアクメ・スタジオの具体的な活動内容について、1970年代から現在までの年代を追ったアクメ・スタジオの活動の変遷や、その拠点となった建物とその時代におけるアーティストの活動、またそのエピソードの紹介等を交えて説明がありました。
ジュリアさんは1995年からアクメ・スタジオで勤務し、レジデンシー&アワード・プログラムの担当をされています。レジデンシー&アワード・プログラムとは、スタジオや住居をアーティストに格安で提供したり、その活動のために助成金や報奨金を付与するプログラムです。現在でも800人もの希望者がおり、常に順番待ちの状態になっていることからも、その需要の高さがうかがえます。
アクメ・スタジオが新しくビルを建てるときには、この800人待ちという状況が、そのプロジェクトの実現性を高め、有利に働いているとお話されていました。
グラハムさんはご自身もアーティストであり、またロンドンにある芸術大学の1つであるセントラルマーチンズ校でアートと建築、映像を教える准教授で、20年以上前からKnowledge Transfer Partnership(英国人文科学研究振興会の基金によるアーティスト支援のための調査と開発プロジェクト)に携わってきました。
ジュリアさんとはまた違った目線で、大学、教育という観点、目線からお話をしていただきました。
講演の中で印象に残ったのは「地域」という言葉を何度も使っていたことです。ロンドンの様々な場所でスタジオを所有する中で、スタジオの近隣の方々と関わり合うことでアートに触れてもらい、アートへの関心の裾野を広げていったことが、アクメ・スタジオの歴史を作った一因といえるかもしれません。
(トリエンナーレスクールアシスタント 小野田実希)