Case study 3, Architecture-Design-Infrastructure:
Shenzhen & Hong Kong Bi-City Biennale of Urbanism /Architecture, China: http://www.szhkbiennale.org/
Gwangju Design Biennale, Korea: http://www.gwangjubiennale.org/eng/gdb/
Guangzhou Triennial, China: http://www.gztriennial.org/zhanlan/threeyear/Thefourth/23/en/
Moderator: Ute Meta Bauer


ケース・スタディ2は、建築、デザイン、インフラストラクチャーに焦点を当てたビエンナーレのセクション。都市の流動性をテーマにしている「深?&香港バイ・シティ・都市計画建築ビエンナーレ」は、2009年の回のチーフ・キュレーターを務めたオウ・ニンOU Ningがプレゼン。1997年にホウ・ハンルゥとハンス・ウルリッヒ・オブリストが共同企画した「Cities on the Move」が、グローバル化した時代の都市に焦点を当てて現代アートに枠組みを与えたメルクマール的な試みの展覧会であったことを参照し、カルチュラル・ツーリズム(文化観光)に駆られて開催されている多くのビエンナーレの持続性の問題とともに、「ビエンナーレは都市の諸問題を議論することはできても、解決できるのだろうか?」とビエンナーレの有効性についての問題提起をしました。
光州では、ヴェネツィア・ビエンナーレのアートと建築のように、アートとデザインのビエンナーレが毎年交互に開始されています。「光州デザイン・ビエンナーレ」のプレゼンは、前回2010年の芸術監督のひとりを務めたパイ・ヒョンミンPAI Hyungminが、テーマの「design is design is not design」の理念を紹介。'Named design' 'Un-named design'といった5つのサブ・セクションで有名性と匿名性のヒエラルキーを解体・並置した態度は、後半の討議でパイが述べた「人々は民主化のプロセスに参加したいのだ」というコメントにも表れていました。
中国の「広州ビエンナーレ」については、王?生WANG Huangshengが登壇。中国におけるビエンナーレの位置づけと、美術機関や専門家との関係性について語られました。広州ビエンナーレは、廣東美術館を会場として2002年から開催されている中国では質の高いビエンナーレと評判ですが、プレゼンのなかで述べられた、ビエンナーレが美術館に足らない機能を補足するための文化イベントと認識され、あたかも美術館が上位、ビエンナーレが下位と思われているかのような中国の図式には、若干違和感を覚えました。美術館とビエンナーレは、異なる役割と事業評価基準をもった別の文化制度であって、優劣や上下の位置づけにはないからです。

 

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Case study 4, Emergent - Alternative Biennials:
Emergency Biennale, Chechnya: http://www.emergency-biennale.org/
Kochi-Muziris Biennale, India: http://www.kochimuzirisbiennale.org/
Land Art Mongolia LAM 360°, Mongolia: http://landartmongolia.blogspot.jp/
Tbilisi Triennial, Georgia: http://www.cca.ge/triennial
Chobi Mela - Festival Photography in Bangladesh, Bangladesh: http://www.chobimela.org/
Moderator: Marie Le Sourd


ケース・スタディ4は本フォーラムにおいて最も興味深いセクションでした。まずはチェチェン共和国のその名も「エマージェンシー・ビエンナーレ」。インディペンデント・キュレーターのエヴリン・ジョアノEvelyne Jouannoによって、2005年第二次チェチェン紛争の只中で資金もなく設立された本ビエンナーレは、モスクワ・ビエンナーレに対するカウンター・パートたろうとする試みであり、また、ロシアによってつぶされた地域のアーティストに発表の機会を与えることを目的としています。マルセル・デュシャンに対する美術史的なリファレンスも意識しながら、大御所から若手までさまざまな参加アーティストの軽い小品をスーツケースに作品を入れて首府グロズヌイまで作品を運び、展示が行われました。パリのパレ・ド・トーキョーでも同時開催された本ビエンナーレは、以後スーツケースによる移動式のビエンナーレとしてウェブサイトで情報を発信しながら、ヨーロッパ、中東、北米、南米の11都市を巡回してきました。
今年12月12日にオープンを迎えるインド初の国際ビエンナーレ「コーチ‐ムジリス・ビエンナーレ」は、アーティストであり同ビエンナーレ財団の設立者でもあるリヤス・コムRiyas Komuが紹介。ケララ州政府文化事業部がビエンナーレ設立の構想を立ち上げ、ケララを拠点とするアーティストのコムとボーズ・クリシャナ=マチャリに相談を持ちかけたことに始まります。州政府のサポートもさることながら、アーティストがイニシアティヴをもって作り上げてきたビエンナーレだからこそ、地元のアーティストをはじめとする地域の協力が得られている様子でした。インドの現代アートは近年、国際的にも高い注目を集めていますが、アート・マーケット上での勢いが先行している感が否めないため、本ビエンナーレによってインドのアーティストがインド国内でいかに現代アートの場と言説を築いていくか期待されます。
もうひとつアーティストが創設したビエンナーレが、「インターナショナル・モンゴリアン・ランド・アート・ビエンナーレ」。ドイツ人アーティストのマーク・シュミッツMarc Schmitzがモンゴルで自作を展示する機会を得たことに端を発したビエンナーレです。背景には、2006年にノマディックなアイデアに基づいた「ウォーキング・ミュージアム―ランド・アート・ビエンナーレ・イン・モンゴリア」がモンゴル各地で開催されたことがありました。そこに1960年代後半に北米で興ったランド・アートに関心をもつシュミットがモンゴルの広大な自然環境に惚れ込み、ランド・アートの伝統の今日的な問題提起を意識しつつ、16か国30名のアーティストとゴビの地で現代のサステナビリティ、エコロジー問題、そして多様性の新たなヴィジョンを考えるアート・キャラバンさながらのプラットフォームを「ランド・アート・モンゴリアLAM 360°」と共に創設。そして2000年8月に「第1回ランド・アート・ビエンナーレ・イン・モンゴリア」が始まり、今年は第2回目が「アートと政治」のテーマで開催されました。モンゴルの多様な風景と遊牧の伝統を活かし、作品は毎回モンゴルの異なる場所に恒久設置されます。道路標識がないような見渡す限りの地平や岩地を、参加アーティストを乗せたバンがひたすら走り、寝食をともにしながら作品設置と展覧会が行われるビエンナーレのあり方は、60年代のコミューン・カルチャーと新たなエコロジーを実践する近未来のヴィジョンが融合したような、非常に興味深いものでした。
グルジアの首都トビリシで開催されている「トビリシ・トリエンナーレ」はアーティスト/写真家/キュレーター/クリエイティヴ・アドミニストレーターで、グルジア現代アートセンター等の設立者でもあるワトー・ツェレテリWato Tsereteliによって創設されました。国際的なアート・ディスコースの構築とともに美術教育の必要性も訴えている同ビエンナーレは、政府から正式認可されていない30の学校を招待するなど、多民族・多言語国家体制のなかでこぼれ落ちていきがちな人々と教育の領域に目を向けています。第一回の今年は、その態度を象徴する「オフサイド・エフェクト」というテーマで開催されました。
セクション4の最後はバングラデシュのシャヒドゥル・アラムShahidul Alamによって、「バングラデシュ写真フェスティバル」の短いプロモーション・ムービーによるプレゼンが行われました。アジアの最貧国のひとつと言われるバングラデシュは都市機能のインフラが十分に整っておらず、文化制度も発展途上にあります。そのなかで1981年の設立以来長い歴史をもつ政府主催の公的な(かつ地元作家からは官僚的と批判されてもいる)「アジア・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」とは対照的に、2000年の第1回から地域のなかで絶大な人気を獲得してきたこの写真フェスティバル「Chobi Mela」は、たとえば複数のリキシャの上に白い箱型テントを取り付け、その4面に写真を展示して街中を練り歩く移動式ギャラリーを行うなど、地域のなかで人々がアートに触れる機会を作っています。ちょうど筆者は今年12月1日にオープンする「第15回アジア・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」の日本参加キュレーターを務めていますが、実際、同ビエンナーレは絵画や彫刻といった従来の美術作品を前提として運営されており、出品既定に写真やヴィデオやインスタレーションのジャンルはありません。日本のように海外の先進国から参加するアーティストがそうした作品を出品することはありますが(機材や設置にかかる経費は参加国負担)、国内のアーティストだと規定外のために選考対象外になってしまうというダブル・スタンダードが問題となっています。「Chobi Mela」はドキュメンタリー写真やストレート・フォトが主流のようですが、公的な制度には組み込まれないバングラデシュのアーティストの作品と人々をつなぐ役割を担っているといえます。
先のチェチェン、グルジアのケースと同様、世界には国際的に知られたビエンナーレ・サーキットに対するカウンター・パートであろうとするビエンナーレがあることにも、私たちはもっと目を向けるべきでしょう。だたしそうしたビエンナーレは、ウェブサイト以外になかなか情報発信する手段を持ちあわせていません。そうした活動を知ることができる点で、こうしたフォーラムは有意義だといえます。

このセッションが他のメジャーなビエンナーレとの比較において非常に興味深いのは、緊急性・必要性の点から考えるときです。日中韓といった東北アジアのインフラ先行型ビエンナーレがカルチュラル・ツーリズムによって創始・駆動されているのに対し、こうした政治的・財政的に困難を抱える地域の新興ビエンナーレは、社会変革の必要性の下に開催されていることが分かります。「このビエンナーレには、社会を変える力があるのだ」という信念の下、財政的な後ろ盾はなくとも、アーティストやインディペンデント・キュレーターといった個人ができる範囲の力で創始してきたのです。でなければ紛争のピークや何もない平原のど真ん中やインフラがないなかで、とてつもない苦労を重ねてビエンナーレを開催する理由はありません。それが結果的に現金ではなく、物資提供やアーティストの作品提供といったサポートと、地域を超えた人々のネットワークを生み出し、小規模ながらも継続を可能にしています。事業のサステナビリティ(継続可能性)はどのビエンナーレにとっても課題ですが、インフラが整備されているところはビエンナーレの必要性「なぜやるのか?」の点がその理由となり、整備されていないところは政治的基盤と資金不足「どうやってやるか?」がその理由となります。同じサステナビリティでも課題の質が違うのです。違いはあれども、つまるところ最も重要なのは、ビエンナーレを開催する人々が必要性と信念をもち、その情熱を周囲と共有すること、そして地域社会の人々が、そのビエンナーレのオーナーシップを持つことです。また、アートに社会を変える力があっても、社会変革のためのビエンナーレではなく、美術史やアートの言説やアーティスティックな関心がビエンナーレ創設の動機の一端を担っていることも忘れてはならないでしょう。