2019年6月9日 その他

ボランティア研修

選択研修(6月度)

「あいちトリエンナーレ2019」ボランティア選択研修(6月度) レポート


4月からスタートした選択研修も、あっという間に最後となりました。いよいよガイドツアーボランティアの選考試験も間近に迫り、またトリエンナーレ開幕まで2ヶ月をきって高揚感と不安感が入り交じってきた6月度のボランティア選択研修の様子をレポートします(2019年6月7日実施分)。


レクチャー 鑑賞のファシリーテーションについて


5月度では「対話型鑑賞」の実践を行い、交代でファシリテーター(進行役)を体験し、対話をしながら作品を深くみていくことの楽しさや難しさを経験しました。6月度ではファシリテーションにおける問いかけに注目したレクチャーを行いました。
今回の研修でとりあげている「対話型鑑賞」は「ACOP(エイコップ:Art Communication Project)」(京都造形芸術大学)の考え方をベースにしています。そこには基本の4原則がありました。

・みる
 直感を大切にする、隅々まで作品を観察する

・考える
 思いや疑問を引きだし、作品のどこからそう思ったのか内省する

・話す
 思いや疑問を言葉にして他の鑑賞者に伝える

・聴く
 共通点や違いに気をつけながら、他の鑑賞者の意見に耳を傾ける

さらに、ファシリテーションを行う際の3つの基本的な問いかけもありました。5月度に行った「対話型鑑賞」の実践ではこの3つの問いかけをヒントにファシリテーションを行いましたが、この3つの問いかけについて今回はその意義やポイントが伝えられました。

基本的な問いかけ

1 どこからそう思いますか? ー根拠となる事実を尋ねる
2 そこからどう思いますか? ー考えられる解釈を尋ねる
3 さらに考えられる事はありますか? ーある事実や解釈について、複数の可能性を探る

これらの問いかけのポイントは、"事実"と"解釈"を区別することにあります。

1 客観的事実(ファクト/fact)
2 主観的解釈(トゥルース/truth)

つまり、同じ事実(fact)でも人によって解釈(その人にとってのtruth)が異なるということです。
例えば、封の開いたワインがあったときに残っている量をみて、「ワインが少ししか残っていない瓶」という人もいれば、「ワインが結構残っている瓶」という人もいます。どちらも「ワインが残っている瓶」という事実は同じでも、残っている量に関する解釈は人によって異なります。

IMG_6132.JPG

もう少し、客観的事実と主観的解釈について岸田劉生《麗子像》を例にして考えてみます。会場に「どんな人物だと思いますか?」と問いかけると、「東洋人かな」「ちょっと昔の人っぽい」「子どもだと思う」と意見がでてきました。
「どんなところからそう思いましたか?」と続けると、「着物のようなものを着ているので、日本か東洋かなと思った」「体格とか頬の感じとかが大人よりは子どもかなと思った」と、最初の解釈(truth)の元になった事実(fact)が出てきました。
この日の進行を務めた会田さん(キュレーター[ラーニング])からは「経験によって解釈(truth)が変わっていくんですよね」という話しも出ました。
「中学生の頃に教科書に載ってたりしてみたことがある作品なんですが、そのころは怖かったり、かわいくないな、なんて思ってたんですよね」と言う会田さんですが、「実は、自分の娘とちょっと似ていて、娘がかわいくて描いたという作者の気持ちとかわかるような気がしてきたし、よくみたら愛らしいほっぺとかで、今はけっこう愛着を持っている作品なんです」とこれまでの経験や、今の自分の状況によって、自分にとっての解釈(truth)が変わってきたと言います。


作品鑑賞は、作品からみえたことから様々な解釈を導き出すことですが、直感=解釈からスタートしていると言えます。そのときに、どんな事実(fact)から思ったり考えたりしたのかを確認することが大事になってきます。
基本的な問いかけの1つ「どこからそう思いますか?」は、事実と解釈を結びつける問いかけですが、「どうしてそう思いますか?」とはどう違うのでしょうか。一見して同じようなことを聞いてるようにもみえます。
ここに、「どこからそう思う?」という問いの意義を確認できる比較実験があります。(参照『教えない授業――美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方』2019、英治出版)
比較実験で子どもたちと鑑賞したのは、狩野永徳《唐獅子図屏風(右隻)》。あるクラスでは、子どもたちの1人が「シーサーに似てる」と答えます。「シーサー?どこからそう思ったの?」と続けて問いかけると「毛の感じとか、かたちとか、沖縄のシーサーに似ている」と、描かれているものから、自分の印象の根拠を導きだします。
また別のクラスの子どもからは「雷獣」というワードがでます。「雷獣だと思ったのはどうして?」と問いかけると「こういう絵を一度みたことがあって、これと似てるんだけど...」と自分の以前の経験に基づいて話を進めていきます。
どこからそう思ったの?」という問いかけでは、作品の中に根拠を探して答えていることがわかり、「どうしてそう思ったの?」という問いかけでは、作品からみつかること以外から根拠をひっぱってきてしまう場合があることがわかります。事実(fact)から出てきた解釈(truth)は他者と共有しやすいですが、そうでない場合は共有しにくいということもわかります。また、子どもの返答が事実(fact)とどれくらい結びついているかという割合では、最初の問いかけが74%、次の問いかけでは53%で、「どこから」のほうが事実を拾っていることがわかります。


他の2つの問いかけの意味はどうでしょうか。
「そこからどう思いますか?」事実(fact)から解釈(truth)を引き出すことを促したり、あるいは、複数の事実や解釈を結びつけたさらなる解釈を尋ねることができます。
「さらに考えられることはありますか?」ある事実(fact)について、別の解釈(truth)はないか、あるいはある解釈についてそれを補強したり逆の可能性を持った事実はないか、というこを考えることができます。

「大事なことは、ファシリテーターが、鑑賞者が事実の話をしているのか解釈の話をしているのか明確に切り分けることです」と会田さん。「どこから」「そこから」「さらに」と、問いかけのねらいを意識して問いかけることで、鑑賞者に考えて欲しい部分が変わってくることをファシリテーターが自覚して、どんなポイントを掘り下げていきたいか、何を考えてもらいたいかを、鑑賞者にわかるように問いかけていくことがポイントです。


「対話型鑑賞」実践

ここまでのレクチャーをふまえて、5月度に続き「対話型鑑賞」の実践を行いました。
ファシリテーションについてにそれほど触れなかった前回に対し、今回は事実(fact)と解釈(truth)について考えたのちの実践です。5月、6月と続けて参加した人たちにはどんな違いや気づきがあったでしょうか。

IMG_6163.JPG

今回の実践では「あいちトリエンナーレ2019」参加作家より4名、2013参加作家より1名を選び、それぞれの作品を鑑賞しました。

エキソニモ《Kiss, or Dual Monitors》 2017
やなぎみわワークショップ+パフォーマンス『案内嬢プロジェクト』2013より
碓井ゆい《shadow of a coin》 2013-2018
藤原葵《Catastrophe》 2018
ミリアム・カーン《美しいブルー》 13.5.17


4〜5人のグループにわかれ、1人ずつファシリテーターを体験しながら作品をみていきました。
基本的な問いかけの前の「0番目の質問」として、どんな言葉を最初にかけるか色々と工夫している様子がみられたり、ファシリテーターも混ざって作品の"なぞ"について考えたりと、作品に集中しながら会話や反応を楽しんで実践に取り組んでいる姿がありました。

振り返りでは、事実(fact)と解釈(truth)についての気づきが共有されました。
「はじめ、自分は事実を拾うことに集中していたが、途中でそこからこう思う、と解釈を入れた人がいて、そこから事実から自分だったらどう思うんだろう、と思考の幅が広がった」という人や、「どんな素材を使っているかも一つの事実だと思うが、それをどのように伝えるか悩んだ」という人、「タイトルや解説などの事実を伝えるタイミングがつかみにくかった」という人もいました。

5月度と違い、今回いくつかの作品にはカードの裏側に簡単な作家・作品についての紹介文が書いてありました。ファシリテーターは紹介文を紹介するか、しないかを自由に決めることができます。「色々話した後に紹介文の内容を聞いて、納得できたし、さらにじゃあどうして?と会話が広がったから、紹介してもらえてよかった」という声と、「紹介文をみたときに、回答をみつけた!と思ってしまい、自由な議論をする気持ちではなくなってしまった」という声がありました。
実際、展示会場には作品の横に作家名やタイトルの他に説明のついたキャプションが設置される予定です。会田さんからは「解説がないことで"苦手"意識を持つ人もいて、芸術祭のように普段は美術館など行かないという人もたくさん訪れる場では、やはり必要だと思う。ただし、答えを提供するのではなく、作品のどこに注目するとか、問いかけによって思考を動かすとか、そういう役割のあるものにしたい」と補足がありました。
「思考を止めたら負け!」と会田さん。解説をみつけたとしても、それを回答ではなく、そこからさらに考えるためのヒントとして鑑賞者に受け止めてもらえるかどうか、ファシリテーターが存在する意義がそこにあります。

また、ミリアム・カーンの作品では、「最初きれいな海みたいな作品で、いいねーと言っていたんだけど、水爆をテーマに制作をしている作家だと聞いて、自分のイメージとのギャップが予想外にあって、うまく鑑賞を続けられなかった」という人も。「水爆はきれいなイメージがないのに、きれいな絵だなと思ってしまった自分の見方が間違ってるのかなとも考えた」という意見に対し、「自分が"きれいだ"と思った、その直感自体はまちがっていることではない。そう解釈したことも一つの事実です。作者の意図とギャップがあったときに、自分の直感、事実を曲げるのではなく、どうしてそのギャップが生まれたのかを考えることで、また一つ鑑賞が深まるかもしれません」と会田さんからのアドバイス。

「ボランティア自身がもっとトリエンナーレを楽しむために」をポイントにすすめている今回のボランティア研修。参加された方からも「楽しかった」「いろんな人と話して、いろんな考え方に触れられて面白い」といった意見が多く寄せられています。
会田さんからは、最後の選択研修ということもあって、参加者の皆さんへ次のような言葉で、研修の意義を伝えました。
「今回のトリエンナーレでは過去以上に様々な議論を巻き起こす作品がたくさん登場すると思っています。そのなかで、誰かを攻撃するのではなく、様々な解釈を受け止めながら建設的で健やかな議論が起こる場を作りたいと思っています。その場のひとつが、ガイドツアーであり、あるいは会場でのボランティアさんと来場者の会話だと考えています。」

IMG_6148.JPG

ガイドツアーボランティアは6月中に試験を行い、7月には決定します。どんな役割になったとしても、今回の研修で培った「トリエンナーレを楽しむ術」が生きてくるはずです。もう開幕まで2ヶ月をきりました。研修を生かしてみんなでトリエンナーレを楽しんでいきたいですね!


(文 松村淳子)