2019年6月5日 その他
ボランティア研修
選択研修(5月度)
「あいちトリエンナーレ2019」ボランティア選択研修(5月度) レポート
4月に続いて2回目となった「ボランティア選択研修」。
ボランティアは4月から二次募集を行い、そこで登録したメンバーも今回の研修から加わりました。希望者多数だったため、より多くの方が参加できるように急遽回数を2回増やすなど、トリエンナーレラーニングチームも奮闘しながら研修を進めています。
そんな5月度の選択研修の様子を、5月10日(金)〜12日(日)の3日間まとめてレポートします。
レクチャー 対話型鑑賞について
「ボランティア自身が、一番トリエンナーレを楽しんでもらいたい」をキーワードに、今回のトリエンナーレでは研修などを組み立てています。また、「対話型鑑賞」にフォーカスしている点も特徴的です。「みる」ということを積極的に楽しみ、思考を動かして作品との出会いを豊かにしていくための「対話型鑑賞」について、前回とはまた少し違う観点から「みる」とはどういうことかに触れながら1時間のレクチャーを行いました。
「対話型鑑賞」は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で、当時教育部長であったフィリップ・ヤノウィンらによって開発されました。1980年代に行われた美術館の教育プログラムの効果を調べる研究で、作品の前で行う解説型のトークや、1〜2時間のレクチャーなどに参加しても、実際は来館者の記憶にほとんど残っていないということがわかり、「来館者がどのように考えるのか」という根幹から考え直して生まれたのが「対話型鑑賞」です。この「対話型鑑賞」を日本に紹介した立役者の一人が、福のり子さん。MoMAの教育部でインターンをしていたこともあり同じくMoMA教育部のエデュケーターであったアメリア・アレナスを日本に招き、日本国内3館を回った展覧会「なぜこれがアートなの?」(1998年)の開催に尽力しました。そこには豊田市美術館も含まれていて、日本における「対話型鑑賞」の最初期の展開が愛知でもおこなわれていたということが印象的です。
その後、福さんは京都造形芸術大学にうつり、「ACOP(エイコップ/Art Communication Project)」がスタートします。今回のボランティア研修でもこのACOPの考え方をベースに「対話型鑑賞」を紹介しています。
ACOPの4大原則は「みる・考える・話す・聴く」です。ただ単にみたり、考えたりするのではなく、それぞれを意識的に行うことが重要です。
み る:直感を大切に、じっくり観察する
考える:内省(思いや疑問を引き出す)する、直感の根拠(作品のどこからそう思ったか)を考える
話 す:考えたことを他の鑑賞者に伝える
聴 く:共通点や相違点を意識しながら他者の意見を聴く
他者の意見を踏まえて改めて「みる・考える・話す・聴く」ということを繰り返すことで、より深い鑑賞や思考、コミュニケーションが生まれていきます。「聴くというのが本当に難しいんですよね」と平野さん(特別講師)と会田さん(ラーニングキュレーター)。
「みる」「みている」ということとは
ここで「みる」「みている」ということが、どういうことなのかを画像をみながら考えてみました。まず映し出されたのは、赤褐色のずんぐりとした岩のようなタネのようなものの写真です。「何にみえますか?」と問いかけられて、「ゴリラの顔」「梅干し」「豚の鼻」「ボーリングの球」「鼻の穴」など参加者から様々な意見が出ました。指をさして、ここが鼻ですね、目ですね、穴かなと確認しながら全員で"これは一体なんだろう"と考えていきましたが、「これ、ただの石なんですよ」と衝撃の発言が。「えー!」と驚きの声があがりつつ、画像に追加された説明は<20世紀初頭、南アフリカにて/300万年前の類人猿の化石とともに出土/高さ8cm、重さ260g>。「一緒に出土」したということは、類人猿が大事に持っていたのでしょうか。調べたところ加工された跡などはなく、偶然できた形状のようです。ゴリラ、梅干し、と考えた私たちと同じように、類人猿もただの石としてではなく、"その先"をみつめて楽しんだりしていたのかもしれません。
この例では、わたしたちが何かを「みる」とき、ただ目に映すだけでなく想像することで「みえないものもみている」ということが言えます。
続いてみたのは以下の画像。
この画像は「あひるに見える人」と「うさぎに見える人」の2パターンに分かれます。ウィトゲンシュタイン(哲学者)が著書『哲学探究』(1953年)の中でとりあげた《うさぎ=あひるの図》では、「あひるを見ているときはうさぎが見えず、うさぎを見ているときにはあひるは見えない」という現象が起こります。
ここから言えるのは、「見たいものだけをみる(集中)」ということと「見たくないものに目をつぶる(無視)」という2つとも、「みる」という中に含まれているということです。聴きたい音だけを拾う(カクテルパーティー効果、選択的聴取)のと同じようなことだと言えそうです。少し違うのは、「自分が見ている・見えているものは、他の人も同じように見てるし見えている」と"思い込んでいる"ことが多いという点です。
つまり、最初にあひるに見えていた人は、うさぎに見えている人がいるとは考えもしないということです。また、あひるかうさぎかを例にもう少し考えると、何かを「みる」ということは「他の可能性を見ない」ということだとも言えます。あひると見たことで、うさぎである可能性をつぶしているわけです。そうなったときに、別の可能性を提示する人がいると、"あひる又はうさぎかもしれない"と可能性を拾うことができます。「対話型鑑賞」ではファシリテーターがその役を担います。見ている人の数だけ可能性があり、何が見えているかもみている人の数だけ存在すると言えるのです。
ワークショップ「対話型鑑賞」
レクチャーのあと、グループに分かれて1人1回ずつ「ファシリテーター」を体験して「対話型鑑賞」を実践するワークショップを行いました。実践の前に『基本的な問いかけ』が紹介されました。
・どこからそう思いますか? ー根拠となる事実を尋ねる
・そこからどう思いますか? ー考えられる解釈を尋ねる
・さらに考えられることはありますか? ーある事実や解釈について複数の可能性を探る
同じ内容をカードにして手元に置きながら、ファシリテーションを進めました。
対象とした作品は全部で5つ、「あいちトリエンナーレ2019」参加作家から4名と2013の参加作家1名のものを選びました。
・パンクロック・スゥラップ
・ホー・ツーニェン
・荒井理行
・村山悟郎
・レニエール・レイバ・ノボ
4〜5名のグループをつくり、自分がファリテーションしたい作品が被らないように1つずつ選び、順番に「対話型鑑賞」を行いました。
「どうやってはじめたらいいんだろう...」と戸惑いつつスタートしましたが、「何が一番に目につきましたか」「どこが気になりますか」「どう思いましたか」と少しずつ質問を足していき、発言を促していきました。鑑賞者役となったメンバーも一言、二言と少しずつ話をはじめていきましたが、次第にテンポよく会話のキャッチボールが進み、すぐに会場全体が声に包まれるほどに盛り上がっていきました。
およそ8分の「対話型鑑賞」のあとは4分間ほど振り返りをグループ内で行いました。ファリテーションをしてどうだったか、鑑賞者としてファシリテーションの中でよかったと思ったことやもっと工夫すると話しやすくなると思ったところなど、お互いにフィードバックすることで、知識や経験をグループ内で積み重ねていきます。
「どうしてそう思ったんですか」「ということは、ここのカタチはこういうふうにも考えられるのかな」「それってすごい発見だと思う!」と、他の人の意見を受けて新しい発見や疑問をみつけてさらに会話が広がっていく、そんな流れがどこのグループでも生まれていました。ファシリテーションがうまくいっているときには、ファシリテーターの存在が消えている、と言いますが、まさにその状態で、誰がファシリテーター役なのかぱっと見ではわからないほどでした。
そんな様子で終始進んでいたように見えましたが、全体で振り返りをしたときにはそれぞれのグループで困ったことや戸惑ったこと、うまくいかなかったこと、などが色々と共有されました。たとえば「どんな質問をしていいかわからなかった」「会話をつなげていくことができなかった」「沈黙があると困ってしまった」「"さらに考えられることはありますか"を使うことができなかった」とファシリテーターを体験したときには少なからずそれぞれの人に葛藤や困惑、疑問があったことがわかりました。鑑賞者役になった人たちからは、一人一人に話を振ってくれたから話しやすかった、意見をしっかり聞いてくれてよかった、など話しやすい環境ができていたと感じていた人が多かったようです。
研修という場所は、失敗してそこから学んでいくことが前提で、"試す"ことが歓迎される場でもあります。この機会を最大限に生かして、同じグループになった全員で試行錯誤に取り組んで、「対話型鑑賞」自体を楽しみつつ、いろいろなファシリテーションの仕方を考えることができたのではないでしょうか。自分なりのやり方や、真似したいなと思ったものなど、それぞれに持ち帰ることができたものがあったでしょうか。
次回もお楽しみに!
(文:松村淳子)