2019年6月24日 トリエンナーレスクール
トリエンナーレスクール第15回
がんと共に歩む力を~マギーズ東京の試み~
トリエンナーレスクール vol.15『がんと共に歩む力を〜マギーズ東京の試み〜』 レポート
ゲスト:秋山正子
平成最後のトリエンナーレスクールは、患者が病院を飛び出し、慣れ親しんだ生活の場での在宅医療にチャレンジしている秋山正子さんをゲストに招き、"暮らし"の中で闘病する人やその家族を支えるための取り組みを紹介いただきました。今回は「その人らしく生きていくこと」に寄り添うケアのあり方について議論が広がりました。
※2019年5月12日に秋山さんは「第47回フローレンスナイチンゲール記章」を受章されました。
第1部:レクチャー
「きっかけは実の姉にがんが見つかり、余命1ヶ月半と宣告されたことでした。」
穏やかな笑顔でそう切り出した秋山さんは、現在、認定NPO法人マギーズ東京のセンター長を務めています。在宅医療という言葉がまだまだ認知されていなかった1990年代はじめに訪問看護に従事するようになり、2001年には独立、自主企画で市民公開講座などを開催し、2011年に商店街に「暮らしの保健室」を、2016年にがん患者と家族のための予約なしの無料の相談所「マギーズ東京」を開設しました。
冒頭の言葉どおり、お姉さんのがん宣告を受けて秋山さんは在宅医療を決意します。病院で最後を迎えるのではなく、最後まで家族とともに自分らしく生きていくための手立てとして、入院ではない選択をしました。「訪問看護ステーション制度」ができたのは1992年ですが、秋山さんがお姉さんのために在宅医療を決めたのは1989年。公的な整備などはされておらず、多くの人の協力を得て実現できたことでした。余命1ヶ月半と宣告されたものの、家族と4ヶ月半ほどともに穏やかな時間を過ごすことができ、「療養、ケアには場所がとても大事であるということが身にしみてわかった」と言います。
秋山さんは「訪問看護ステーション制度」が整備された1992年から訪問看護に従事するようになります。訪問看護を利用することで、普段の暮らしのなかで必要なケアも受けることができ、その人らしさや地域とのつながりを損なうことなく、生活を続けていくことができます。しかし、実際には在宅ケアを利用している人の数は多くないと言います。例えば、秋山さんたちが訪問していたのは半径3km以内の限られた地域でした。周辺には大規模な病院が7つもありましたが、そうしたところでは療養目的の長期入院が不可能で、ほとんどが早期に自宅に帰されることになります。その際の受け皿の一つが在宅ケアですが、制度スタート当初は医療関係者からも「患者を横取りするのか」など理解をなかなか得られなかったといい、在宅で十分なケアが受けられるのか、普段の暮らしを続けながら療養できるのか、と懐疑的な人も少なくないのが現実でした。
そうした状況のなか、2007年から在宅ケアに関するシンポジウムを自主企画で開催していきます。提供する側からではなく、実際の利用者の声を届ける場所を設定することで、実体験によって在宅ケアがいったいどういうものなのかを伝えていきました。このシンポジウムは好評で、区主催となるなど、地域の在宅ケアに関する理解に大きな影響を与えました。
このシンポジウムがスタートする前、2000年に介護保険制度がスタートします。はじめの頃の制度では、実費負担が1割と少なく、手軽にサービスを利用できたため、実際にはサービスを必要としない人が利用してしまうなど問題点があり、2006年に制度が改正され、サービス利用に一部制限がかかりました。サービスを提供することに重点を置くのでは無く、自立を目指した「予防」に力点を置くようにもなりました。「訪問看護を利用する段階では介護度が4や5(介護度5は最も介護が必要だと認定される区分)[t1] など重くなっている人が多い」ことに、もっと早く訪問看護を利用していれば身体も心も元気な状態でもっと長い時間過ごせたのに、と痛感していた秋山さんは、「予防」という視点でアプローチできないかを模索するようになります。
そのアプローチの一つとして2011年に開設したのが「暮らしの保健室」です。シンポジウムに参加した聴講者の協力を得て、東京都営戸山ハイツの1階にある商店街の空き店舗をリノベーションし、まちのひとが集まれる"保健室"が生まれました。
戸山ハイツは新宿区の中央に位置する戸山2丁目のシンボル的な大規模集合住宅で、1949年に整備されました(建物は1970年代に改築)。入居者の半分は高齢者で、そのうちのさらに半分が独居という、高齢化がすすんだ地域です。運営は国や東京都、新宿区などからの助成金で賄われていて、利用者負担はありません。また、看護やリハビリなど専門知識を持ったスタッフのほか地域のボランティアが多数活躍しています。利用は無料、予約も不要で、オープン時間中の好きな時にきて、好きなように過ごし、ときにスタッフに健康に関することや、医療制度、介護のことなど、暮らしの相談をしていきます。
「暮らしの保健室」の話で印象的だったのは、自然と「利用者が利用者をサポートする」ようになっていくということでした。例えば、料理が好きな人が他の利用者に料理を教えたり、裁縫を教えたり、会話をしたりなど、自分たちができることで誰かの助けになりたい、という意識が芽生えそれが行動に移されていきます。保健室に通う中で、社会と距離ができていた利用者がコミュニティとつながり、活気を取り戻していきます。それには利用者一人一人に寄り添うボランティアスタッフの存在も欠かせません。
こうしてはじまった「暮らしの保健室」は、賛同する人々によって全国に広がり、現在50ヶ所以上の保健室が各地に誕生しています。※2017年GOOD DESIGN賞を受賞。受賞プレゼンテーションの様子はこちら。
「暮らしの保健室」を考えるモデルとなったのが、イギリスで誕生した「マギーズ・キャンサー・ケアリング・センター」です。
がん宣告を受けた患者とその家族が「自分を取り戻す」ための場所である、通称「マギーズセンター」。マギーさんが、自分ががんと宣告されたことで発案したセンターです。闘病に関して医療関係者とじっくり相談したいと思っても病院では十分な時間が取れず、今と違い生存率が低かったこともあり、精神的にもつらい状況が続いたと言います。そんな中、がんと向き合い、宣告されてからの人生をいかに生きていくか、ゆっくり自分を取り戻し前を向いて歩いていくためのサポートができる場所をつくりたいと考えるようになりました。
マギーさんの夫が建築家であったこともあり、"第2の我が家"として居心地のいい安心できる環境を目指し、建物から設計をしました。イギリスのエジンバラにマギーズセンターがオープンしたのは1996年。残念ながらその前年にマギーさんはこの世を去ってしまいましたが、ともに計画を進めていた仲間によってマギーズセンターはマギーさんの思いを継承し、現在世界中に広がっています。
※マギーズセンターのwebサイトはこちら。紹介ムービーも見られます。
秋山さんがマギーズセンターを知ったのは2008年。実際にイギリスに出向き、現地の様子を見たりもしました。環境を大切にするマギーズセンターの考えを参考に「暮らしの保健室」も温かみのある
空間にリノベーションし、椅子や机などの配置も、自然と人々が集いくつろげるように考えられています。
家族をがんで亡くしている秋山さんが、マギーズセンターを日本でも開くことができないかと考えていた頃、20代でがんを経験し、同じように日本にセンターを作りたいと考えていた鈴木美穂さんが秋山さんと出会ったことが最初のきっかけとなり、2016年に「マギーズ東京」がオープンしました。※オープンまでの歩み。
マギーズセンターの柱は大きく2つあります。
1 建築、環境
ほっとできる、くつろげる、自分を取り戻せる居心地の良さをつくる。
2 ヒューマンサポート
・一人一人に寄り添う(そっと、ゆっくり耳を傾ける)
・対等な立場(医療者ではなく友人のように)
・自分らしさをエンパワメント(自分の力に気づきまた歩めるように)
さらに、建築に関してはマギーズセンターの提唱する"建築概要"があります。
マギーズセンターの建築概要
・自然光が入って明るい。
・安全な(中)庭がある。
・空間はオープンである。
・スタッフルームからすべて見える。
・オープンキッチンがある。
・セラピー用の個室がある。
・暖炉がある、水槽がある。
・一人になれるトイレがある。
・280㎡(84坪)程度。
・建築デザインは自由。
こうして並べると多いように感じられますが、「環境が人を開く、心をゆるめることができる場所になる」という考えで、病院でも家でもない居場所として、その人が自分の力でまた歩むことができるようにサポートをしていきます。各地にあるマギーズセンターの建築と同様、マギーズ東京の建築も2人の設計士による魅力的な建築で、開放感のあるやさしい雰囲気です。
マギーズセンターと同じように、マギーズ東京も無料で利用できます。マギーズ東京の利用者は1ヶ月でおよそ500人程度、「暮らしの保健室」同様にスタッフは常勤・非常勤10名のコアメンバーと、ボランティア20名。地域と協働することも意識し、地元の商店街の人や、小学校の子どもたちとコミュティガーデンをつくっています。「植物の生命力ってやっぱりいいんですよね」と秋山さん。次来た時はどんな花が咲いてるんだろう、と穏やかに話す利用者の姿が見られると言います。
「がんと共に歩む時間が長くなった」と秋山さん。がん患者の10年生存率は全がん平均で58%になっていると言い、少し前とは状況が変わってきています。治る病気となったという認識が広まっている面もありますが、長期にわたる闘病生活となることもあり、長く関わっていくことによる将来の不安は当然あります。また、ありのままの自分を安心して出せる場所がないという問題点もあります。どんな人でも職場での自分、家族としての自分といったように、それぞれの場所でなにかしらの役割を持っていてそれに応じた顔をみせています。がんであることを誰にも伝えられない人もいます。マギーズではありのままの自分を出せるように、環境やスタッフが寄り添うことでそっと背中を押すことを目指しています。
最後に、マギーズセンターで大切にしているという、3つのキーワードが紹介されてレクチャーは終了しました。
・Caring ケア
・Sharing わかちあう
・Daring 勇気を持って一歩踏み出す
第2部 ディスカッション
今回のディスカッションは、自分自身が、がんを体験していたり、身内や友人、知人が闘病していたなど、実体験を持っている人の参加もありました。いつものように、レクチャーを受けてのディスカッションは盛り上がりましたが、内容は時にシビアなものにもなりました。死生観や闘病生活、病気に対する意識など、立場によって見え方は様々であることも見えてきました。「お互いの意見を聞く、聞き上手になる」といういつもの会田さん(「あいちトリエンナーレ2019」キュレーター(ラーニング))の説明を思い返しながら、相手の言葉を丁寧に聞くことをいつも以上に意識した人もいたのではないでしょうか。
(レポート:松村淳子)