2018年11月9日 トリエンナーレスクール

トリエンナーレスクール 第7回

14歳の私が行動を起こした時から現在まで

第7回目となるトリエンナーレスクールのゲストは、認定NPO法人Homedoor理事長の川口加奈さんです。
NPO法人Homedoorは2010年から活動している団体で、ホームレス状態を生み出さない日本を目指して活動をされています。
川口さんは14歳のときにホームレス問題と出会い、19歳でこのHomedoorを立ち上げます。この問題と出会った経緯から現在の活動内容に至るまでお話しして下さいました。

〈概要〉
あいちトリエンナーレ2019 トリエンナーレスクール vol.7
2018年8月19日(日)14:00-16:00
『14歳の私が行動を起こした時から現在まで』
ゲスト:川口加奈(かわぐち かな)さん
進 行 :会田大也(あいだ だいや)さん


〈スクールの様子:第1部〉
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●ホームレス問題との出会い 
川口さんがホームレス問題と出会ったきっかけは14歳の中学生時代に遡ります。
川口さんは日本で一番ホームレスが多いと言われている地域「釜ヶ崎」のある、新今宮駅で乗り換えをしていました。当時、一緒に電車で通学していた近所の友達は遠回りになるにも関わらず、何故かひとつ前の駅で乗り換えをしていました。それを疑問に思い友達に聞いてみたところ、「お父さんに新今宮駅で乗り換えするのは危ないと言われたから。」と返事があったそうです。川口さんは、新今宮駅には大人が隠している何かがあると直感し、気になって調べはじめます。

インターネットには、新今宮駅の周辺はあいりん地区、通称釜ヶ崎と呼ばれるエリアが広がっている、と書かれていました。
もともと日雇い労働者を集めるためにつくられた街で、日本で最大の寄せ場と言われていました。しかし、バブル崩壊後、日雇い労働という仕事が不安定だったために、ホームレスの街となってしまっているのです。結核高罹患率が他の地域の17.2倍で、マザー・テレサもノーベル平和賞受賞後に釜ヶ崎を訪れたと言われています。そんな事実を知った川口さんは、伝記で読んだマザー・テレサが、私の通学路に来ていたという驚きから、より釜ヶ崎に対する興味が湧いたそうです。


●ホームレスは自己責任ではない
調べを進めていく中で、釜ヶ崎で毎日のように行われている炊き出しのことを知り、川口さんは初めて釜ヶ崎へと向かいます。その日は冬のとても寒い日だったのですが、炊き出しの3時間以上前からホームレスの人が500人以上並んで待っていたそうです。それを見た川口さんは、3時間も寒い中外に並んで、たったひとつのおにぎりしかもらえないなら、アルバイトをして自分の好きなものを食べたらいいのに、と疑問に感じていました。
そのとき、施設の方からこんなことを言われたそうです。
「ホームレスのおっちゃんにとっては、たったひとつの命の綱であるおにぎりを、孫みたいな年齢のあなたから受け取る気持ちを考えて、渡してあげなさいよ。」
自分としてはボランティアで良いことをしている気持ちしかなかったので、まさか自分が興味本位で来てしまったことが、おっちゃんたちにとって不快な気持ちを与えかねないとは思いませんでした。また、当時の川口さんはホームレスの人に対して、全く良い印象がありませんでした。もっと勉強して、良い学校に入って、良い会社に勤めていればよく、その人が頑張らなかったからホームレスになっているのではないかと思っていたそうです。しかし、直接話していくうちに、おっちゃんたちの多くは、そもそも勉強できる環境になかった、という事実を知ります。
日本では、貧困家庭に生まれ育った子どもが、大人になっても貧困状態から抜け出せないという問題が非常に深刻になっています。
これは決して自己責任だけで片付けられる問題ではありません。特に、若いホームレスの人に顕著にあらわれています。現在、Homedoorにも20代、30代の若い相談者が増えており、その多くが虐待を受けて育っていたり、児童養護施設の出身であったり、母子家庭の出身であったりするそうです。
また、例え家庭環境が良く、良い会社に勤めていても、うつ病や癌などの病気で働けなくなってしまたり、近年では介護離職により、困窮状態に陥ったなどの相談も多く、様々な理由で誰もがホームレスになる可能性があるのです。
当時の大阪市内だけの数字ではありますが、年間213人のホームレスの人が路上で凍死や餓死しています。それぐらい路上での生活は過酷なものなのです。

●中高生のホームレス襲撃事件

炊き出しに参加するまで、ホームレスの人に会ったことも話したこともなかったのに、怠けているから、勉強しなかったからと決めつけてしまっていたことに後悔し、せっかく問題を知ることができたのだから、自分に何かできることはないだろうか、と考えるようになりました。
そこからホームレス問題を調べていく中で、自分と同世代の、中高生によるホームレス襲撃事件が、全国で多発していることを知ります。ホームレスの人が何かしたわけではなく、ただホームレスであるという理由だけで襲われているのです。そんな事件を起こした少年たちは、「自分たちは自己責任(でホームレスになってしまっている)な奴らを片付けてやっている、ゴミ掃除をして良いことをしているのになぜ捕まらなければならないのか」と供述していたそうです。それを知った川口さんは、ゴミ掃除だなんてと思う反面、自分も少し前まではその少年たちと同じように、自己責任と思っていたので、自分も同じなのではないかと思ったそうです。
今の自分にホームレスの人を襲ってはいけないという認識があるのは、問題を知る機会があったからではないかと考えました。そこで、今度は自身が伝える側にまわろうと作文を書き、学校の全校集会でそれを読み上げました。これが川口さんにとっての最初のアクションでした。
しかし終わったあと、友達にどうだったかと聞いても、友達は寝てしまっていたり、どうせ自業自得だという反応だったりで、失敗に終わってしまいました。

●今自分が何もしなかったら
結局それ以降、中学生の私がやらなくても、行政などの力のある大人が何かやってくれるという考えがあり、何もしなかったそうです。
その後も1年程、通学の途中で毎朝毎晩必ず釜ヶ崎をずっと見てきましたが、ホームレス問題は何も変わりませんでした。しかし、見ている中で気づいたのは、炊き出しに参加するまで何も気に留めず新今宮駅で乗り換えていたのに、「今日は寒いけどあのとき会ったあの人は大丈夫かな」と気になっている自分がいたということでした。
もし、自分が今何もしなかったら、日本の路上で人が凍死や餓死する事実や、自分と同世代の中高生がホームレスを襲撃してしまう現実も変わらない。今、自分が何かしたら、少しでも変えることができるのではないかと思った川口さんは、スピーチでだめだったなら文字に書いて伝えようと、学内新聞を書き、全校生徒に配布します。その新聞で「ホームレス」を間違えて「ホーレス」と書いてしまう典型的なミスをしてしまいます。しかし、そんなミスがあろうことか話題となり、そこから友人たちの興味関心がわいたのです。
それをきっかけに、友人たちを集めて炊き出しに参加したり、お米を集める"お米ボックス"設置運動をしたり、自分の学校だけでなく、7つの学校から100人集めて2泊3日のフィールドワークを釜ヶ崎でやったり、高校に入学してからも、何度も企画を重ねていきました。
その結果、高校2年生のときに川口さんはボランティア親善大使に選ばれ、ワシントンD.C.で各国の親善大使と国際会議に1週間参加するという機会を得ます。
小児がんで苦しんでいる子どもたちに向けて企業と一緒におもちゃ箱を届ける運動をしている人や、一億円規模の自分の名前の基金をつくっている人など、海外でボランティア活動をしている同世代の話は自分とは全く規模やレベルが違っていました。企業を巻き込む、行政と寄付を集めるなど、そのような発想が全くなかった川口さんはショックを受けてしまいます。そんな中で活動発表したところ、あまりにレベルが低く、発表後、他の親善大使の人から「あなたは本当に社会を変えたいのか。結局社会にちょっと良さそうなことをしたいだけなのではないか。」と言われてしまいます。これは川口さんの中にずっと心に引っかかっていたことでした。

●ショックな出来事と一枚の間取り図
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当時、夜回り活動といって、ホームレスの人のためにお弁当を届けて回る活動をしていました。ある日、そこで仲良くなったおっちゃんから路上脱出がしたいとの相談を受けます。そのおっちゃんは生活保護は既に使えない状態にあり、本人の希望としては自分でお金を稼いで家を借りて、もう一度布団で寝たいということでした。川口さんは頼られたことがうれしかったため、翌月の夜回りまでに求人情報誌を引っ張り出し、おっちゃんにできる仕事を探すべく片っ端から電話をしていきました。しかし、当時おっちゃんは57歳だったということもあり、年齢的にもなかなか仕事が見つりませんでした。そもそも面接をして合格になったとしても、その合格の結果を受け取る連絡手段や、シフトのやり取りに必要な携帯電話がないと働けないのではないか、翌月末払いの給料日までの間、お金をもっていないおっちゃんは交通費や食費をどうすれば良いのだろうと、働くための大きな壁に直面してしまいました。
結局、なかなか良い仕事も見つけられないまま、翌月の夜回りにいったのですが、そこでそのおっちゃんは先日亡くなったとことを知ります。
その日のことが今までもショックな出来事として忘れられないそうです。
ホームレスは自己責任と言われがちです。しかし、どうしてホームレスになったのか経緯を聞くと、その人が悪いとは思えませんでした。本人もホームレスになってしまったことを後悔し、もう一度やり直したいと思っていても、それが叶わず亡くなられる現状を見て、そんな社会って嫌だなと、その日からずっと思っていたそうです。
川口さんはワシントンD.C.での出来事をきっかけに、ホームレス状態を単に良くする活動ではなく、ホームレス状態を生み出さない日本の構造に変えていきたいと気づき、帰国後、一枚の施設の間取り図を描きました。そこには栄養のある食事がとれる食堂と、その日から働ける仕事と、ゆっくり休んでもらえる個室がありました。とりあえずここに来たらなんとかなる、そんな場所がこの日本でたったひとつでもあったら、ホームレス問題が解決するのではないか、そんな思いで描かれたものでした。この間取り図が現在のHomedoorへと繋がります。

●Homedoor立ち上げ 負のトライアングル
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川口さんは進学先を、ホームレス問題の研究者も非常に多い大阪市立大学へ決め、大学2年生のときにHomedoorという団体を立ち上げます。
最初に、「自分たちがやりたいからやるのではなく、おっちゃんたちのニーズを代弁する立場として活動しないと意味がない。」と言われ、そもそもなぜホームレスになったら抜け出せないのか、改めて考え直すことになりました。その結果、仕事と貯金と住まいを同時に手に入れなければホームレスから脱出できない、「負のトライアングル」と呼ばれる構造を見つけ出しました。
ホームレスを抜け出すには第一に家が必要ですが、このためにはもちろんお金が必要です。ホームレス生活は一見お金がかからないように見えますが、意外にも出費は多いです。例えば毎回外食になり食費がかさんでしまったり、働きに行くには荷物を預けなければならなかったり、身なりをキレイにするにはコインランドリーやコインシャワーを使わなければならなかったりと、そもそもお金が貯まりにくい環境にあります。お金を貯めようと思ったら仕事を始める必要があるのですが、先ほども少しお話にあったように携帯電話の問題や、給料日までを生き延びるお金などの問題も出てくるのです。
そして働くためには住所も必要になってきます。住所がないと給料を振り込むための口座開設もできません。
さらに盲点なのが、日本は家を借りる際にも必ず住民票の提出が求められるため、家が必要になってくるのです。もちろんおっちゃんたちは住民票が抹消状態にありますし、保証人や保証会社の必要性など、他にも様々な制約が発生し、結局家を借りることができません。
そこで川口さんはこの路上脱出までの高い壁である「負のトライアングル」をどんな人でものぼって行けるように、すべてを一方的に与えるのではなく、小さないくつかのステップを設定し、仕事につくための仕事というものを提供しようと考えました。一時的に雇って少しずつお金を貯めてもらって、お金が貯まったら家を借りられるようにサポートし、家を借りられたら次の仕事に繋いでいく、という仕組みです。

●HUBchariのきっかけ
せっかく仕事をつくるのなら、おっちゃんたちが得意なことを仕事にしようと考え、直接聞いて回ることにしました。すると、その7割もの人が自転車修理が得意だと答えたそうです。ホームレスの人は働いていない、怠けていると思われがちですが、そもそも7割近くの人が働いています。それは10時間集めまわって平均1000円になると言われている缶集めという仕事です。時給換算すると100円にしかならないのですが、仕事がないのでそれをせざるを得ません。それだけの缶を集めるとなったときに必要不可欠なのが自転車なのです。
毎日10時間も自転車で集めまわっていると、どうしてもパンクをしてしまったり、チェーンが外れてしまったりします。しかし、1日1000円の売上の中からパンク修理代を出していられないので、おっちゃんたちは自分で自転車を修理します。そんな背景から自転車修理が得意になったそうです。
これをきっかけにビジネスとして生まれたのがHUBchariというプロジェクトでした。これは街中にいくつか拠点をつくり、その拠点のどこで自転車を借りても返してもいいというレンタルサイクルの新しいカタチで、もともとは自転車問題の解決に誕生したと言われています。この自転車問題とホームレス問題という大阪の二大問題を一挙に解決するということをHUBchariのコンセプトとすることで、ずっと支援される側だったおっちゃんたちが自転車問題を解決する担い手、支援する側として働いてもらえることになります。
しかし、当時は今ほどシェアサイクルが周知されていなかったため、大阪市など行政にお願いしましたが、どこも取り合ってくれませんでした。それなら、ビルやカフェ、ホテル等の企業の軒先のデットスペースならどうだろうかと考え、200〜300社ほど飛び込みで営業回りをしますが、当時の川口さんは19歳ということもあり、実績もなかったためなかなか受け入れてもらえませんでした。なんとか4ヶ所のビルにイベントとして一週間だけ置かせてもらえることになり、その様子が様々なメディアに取り上げられました。実際に使ってくれた人からも好印象だったため、そこからようやく1ヶ所のホテルから許可をもらい、4人のおっちゃんたちが働き始めました。ホームレス問題と出会ってからここに至までに6年の歳月がかかってしまったものの、はじめておっちゃんを雇えた瞬間だったそうです。
しかし、周知できていないためかお客さんもなかなか来てもらえず、学生でお金もなかったため、広告もなかなか出せない状態でした。このままではおっちゃんたちもこの会社はつぶれてしまう、こんな若いやつに任せておけないと言って辞めてしまうのではないか、といろいろ悩みはじめていたときに、ひとりのおっちゃんがお客さんが来てくれるようにと、自ら看板を作ってきてくれました。他にも手先が器用なおっちゃんが、取材を受けたときに説明しやすいようにとハンガーの針金を曲げて、HUBchariの模型を作ってくれ、HUBchariのためにそれぞれが工夫をするようになりました。今まで雇う雇われるという関係で考えられがちでしたが、この瞬間、HUBchariを一緒に盛り上げてくれるパートナーのように感じることができたそうです。そこから少しずつ企業にも協力してもらえるようになり、大阪市とも一緒に事業を行えるようになりました。今では大阪市内の41カ所にHUBchariの拠点があるそうです。

●6つのチャレンジ
Homedoorはホームレスをゼロにしたい団体ではありません。ホームレス状態を脱出したいと思ったら、その機会となる選択肢でありたいという想いで成り立っています。ホームレスの人と出会ってから卒業までを見守っていく団体です。Homedoorでは、ホームレス問題解決に向けて以下の内容で6つのチャレンジをしています。

1.見つける:巡回活動 店舗ポスター・WEB広告など
2.選択肢を広げる:アセスメント シェルターの提供 他機関との連携
3."暮らし"を支える:居場所づくり 食堂の実施 健康サポート
4."働く"を支える:仕事の提供 一般就労移行 金銭管理サポート
5.再出発に寄り添う:引っ越し・見守り 就労定着 卒業生サポーター
6.伝える:講演・ワークショップ 路上生活者調査 啓発用教材販売

現在、日本ではお金も家も失ったときに多くの人が駆け込んでいる場所がネットカフェやファーストフード店になってしまっているそうです。なんとか路上で寝たくないという思いから、そこで夜を明かして、それでもどうにもならなくなりホームレスになってしまう。この状況を変えるべく、この6つのチャレンジを精査しながら、とりあえずここに来たらなんとかなると思ってもらえるような場所をつくりあげたくて、その日から働いてもらえる仕事や、ゆっくり休んでもらえる個室、栄養のとれる食事がある食堂などをつくってきました。そして、4ヶ月ほど前からこれまでの設備に加え、シャワー、キッチン、ランドリースペース等を提供できる宿泊施設「アンドセンター」もオープンしました。

●知ったからには知ったなりの責任がある
今後は、より相談者数が増えていくように、「とりあえず困ったときにHomedoorに行けばなんとかなる」という認知度を高めていくことを目標としているそうです。
なぜ14年間も活動を続けられるのか、と聞かれることが多いそうなのですが、川口さんはその理由に「知ったからには知ったなりの責任がある」ということが大きくあると考えています。友人のおかげで、たまたま14歳のときにこの問題を知ることができました。知って終わりではなく、知ったからこそ何ができるのか問い続け、その試行錯誤の連続が今に繋がっているそうです。
Homedoorは、昨年より全国5万団体あるNPO団体の中でわずか2%である認定NPO法人となりました。現在は宿泊施設であるアンドセンターの運営のために毎月1000円の寄付をしてくれる人を1000人集める「1000人キャンペーン」を実施中で、毎月の夜回り、アンドセンターでのボランティア活動も継続的に行っているそうですので、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。


〈スクールの様子:第2部〉
今回もこれまでと同様にワールドカフェ方式によるディスカッションを行いました。4人ずつテーブルにつき、およそ10分間ずつ今回のトークの内容について意見や感想、考えたことなどを話し合い、その後テーブルを移動しつつ数ターン、メンバーをシャッフルして議論を展開していきました。
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第1部のトークを聞き、ホームレス問題を含む社会問題に対して、どのようなモチベーションで関わればいいのか、「知ったからには知ったなりの責任がある」という川口さんの言葉に対して、それぞれの今自分が置かれている環境を踏まえてどのように考えるか、また今回のトークをトリエンナーレの中にどう変換して見るのかなど、今回のディスカッションでは意見を言葉にし合う中でこれまでとは少し違って、テーブルで出たひとつの意見に対して考えたり悩んだりする時間が多くとられていた印象を受けました。
それぞれの今置かれている環境や現状を含めて考える、スクールの回数を重ねていくごとにだんだん自分ごととして浸透しているように思います。

(文:小川 愛)