2018年8月13日 トリエンナーレスクール

トリエンナーレスクール 第4回

ビエンナーレ/トリエンナーレはなぜこんなに開催されるのか?

トリエンナーレスクールも第4回目を迎えました。

今回のトリエンナーレスクールでは「あいち」を含めて世界中で開催されている「ビエンナーレ」や「トリエンナーレ」について、世界中のアートフェスティバルを巡り、多数の展覧会の企画やプロジェクトを手がけ、「あいちトリエンナーレ2019」では国際現代美術展のキュレーターに就任された能勢陽子さんと鷲田めるろさんのお二人をゲストに迎え、お話を伺いました。司会進行はこれまでに引き続き、「あいちトリエンナーレ2019」ラーニングプログラム キュレーターの会田大也さんです。

〈概要〉

あいちトリエンナーレ2019 トリエンナーレスクール vol.4
2018年5月20日(日)14:00-16:00
『ビエンナーレ/トリエンナーレはなぜこんなに開催されるのか?』
ゲスト:能勢陽子(のせ ようこ)さん、鷲田めるろ(わしだ めるろ)さん
進 行 :会田大也(あいだ だいや)さん


〈スクールの様子:第1部〉

今回はお二人ともこれまで観てきた国際展を紹介するというスタイルではなく、「トリエンナーレを自分ごととして考えて欲しい」という会田さんからのことばをキーワードとし、ご自身が関わってきた展覧会やプログラムのなかでの出来事を中心にお話を進めてくださいました。
DSC_0017.JPG
はじめに鷲田めるろさんから、金沢21世紀美術館に勤めていた時に携わってきた「金沢世界工芸トリエンナーレ」での経験をもとに、そこから「あいち」でどういったことをすればいいのかにつなげてお話ししてくださいました。

そもそもなぜ金沢21世紀美術館が金沢世界工芸トリエンナーレと関わることになったのでしょうか。21世紀美術館の開館した由来に話は遡っていきます。


もともと金沢という街は小京都と言われるほど、歴史的なものが残る伝統的な街であり、しかしその反面、現代美術にふれる機会は少ない場所であったそうです。そこで、伝統的なものを残していくだけではなく新しい文化を取り入れ、さらにはその取り入れた文化が、伝統的なものにも刺激を与えてくれるような関係をつくっていける文化都市でなければならないのではないかとの考えのもと、2004年に金沢21世紀美術館が設立されました。

しかし開館当初はコンテンポラリーアートを扱う美術館が、今ある伝統的なものとどのように向き合っていけば良いのかという課題は大きく、そこと向き合っていくひとつの方法として、これまで金沢市で隔年に行われてきた「世界工芸都市会議」と「世界工芸コンペティション」を引き継ぐかたちで2010年に新たにスタートしたのが「金沢世界工芸トリエンナーレ」でした。


当初、鷲田さんはキュレーターではなくコーディネーターとして展覧会に関わっており、当時のことを会場の記録写真を見せながら、作品やキュレーションについても解説してくださいました。

第1回目のテーマは「工芸的ネットワーキング」。そこには工芸の長い歴史の中にネガティブな側面としてある、細分化されバラバラになってしまったグループ同士の関係性をどのように繋げていけば良いのかということがテーマの由来としてあったそうです。

会場として使った場所は、もともと本屋さんだった商業ビルのワンフロアで、そこに5つのビニールハウスを建て、5人のキュレーターがそれぞれのビニールハウスの中で展覧会をつくり上げていくという形式のもので、作品の内容もお茶をテーマにしたもの、洋服、巨大なオブジェなど多種多様で、工芸という要素を大きな意味でとらえた幅広いものでした。

そんな金沢世界工芸トリエンナーレをスタートして以降、どのような変化があったのでしょうか。

鷲田さんが実感した変化は、21世紀美術館のオープニングパーティーに工芸の作家が来てくれるようになったり、現代美術の作家と工芸の作家が一緒にお酒を飲む機会ができたということ。それは表面では見えないような成果ではあるけれども、トリエンナーレで目指したことの大きな成果なのではないかと感じたそうです。

また、トリエンナーレに展示されていたものがどのように評価されるのか以上に、なぜ金沢でやるのか、その展覧会をやることによって金沢の街がどういうふうに良くなるのかというような実践的な側面が展覧会をつくるなかで重要だと感じ、これは「あいち」に置き換えても同じことが言えるのではないか、と最後にご自身の経験を、これからのあいちトリエンナーレの話へと繋げていき、鷲田さんのトークは終了しました。


トークは能勢陽子さんへと続きます。
DSC_0029.JPG
能勢さんは「あいちトリエンナーレ2019」の会場にもなる豊田市美術館で、実際にご自身が美術館の学芸員としてプロジェクトや展覧会に関わった経験の中でお話をしてくださいました。

はじめに「ビエンナーレ/トリエンナーレはなぜこんなに開催されるのか?」という今回のスクールのテーマについて、能勢さんが思う答えのひとつとしては、「美術は美術館だけで見るものではなく、もっと日常に近いところにあっても良いのではないか」という鑑賞者の要請に応えているのではないかということでした。

実際に美術館で展示を行うには、様々な制約があるそうです。そのなかのひとつの例として、今年の1月から4月に豊田市美術館で開催された「ビルディング・ロマンス」展の参加作家であった飴屋法水さんのインスタレーションについてお話ししてくださいました。

飴屋さんは普段演劇の分野で活躍している方ですが、展示の際はその土地や場に向き合って、そこがどうなりたいのかということを丹念に感じ取り、それに従って作品を展開していきます。そのため屋外での展示に比べ、基本的には壁と床しかない美術館での展示は、あまりにニュートラルで取っ掛かりが掴みにくい場でした。そしてできた作品は、そこが美術館の展示室の一室であり、車の街豊田市の一角であり、さらにどこかの被災地でもあるような、過去とも未来ともつかない、非常に不可思議な展示空間でした。そこには、美術館の展示備品や廃車の躯体、また美術館で生ものを展示するために行った薫蒸の跡など、人間とその中で生が駆動しているシステムの関係が、生々しく立ち上がってくるような場になったそうです。

なぜ今回の「ビエンナーレ/トリエンナーレはなぜこんなに開催されるのか?」というテーマでこのような話をするのか。

トーク冒頭でも「美術館には各種の制約がある」とお話がありましたが、それは美術館が原理的にコレクションを永久的に守る機関であるからとのことです。芸術祭でのまちなか会場や、舞台などでできることでであっても、美術館では作品を守るという観点からできないことがあります。美術の永続性や歴史化と瞬間性や生々しさとの関係を、どちらが良いということでなく、次のトリエンナーレにおいてはじっくり考えてみたいとのことでした。


続いてトークは市民との関わりについて、美術館と豊田市の市民と共に2004年におこなった川俣正さんによるプログラム「ワークインプログレス」の話へ。

能勢さんは当時のプロジェクトの様子を写真を交えてお話ししてくださり、プロジェクトを市民と共に実際につくりあげていくなかで、結果としては良い方向に進んだものの、途中様々な反対意見や障害にも直面したお話をして下さいました。
そんな中で能勢さんが感じたことは、プロジェクトが終わった後、それらを全て除いて、最終的にいい話にまとめてしまっていいのだろうか、ということだったそうです。
当時はクレア・ビショップの「敵対と関係性の美学」なども日本であまり紹介されておらず、例えば敵対性がある方が民主的なのではないかということも当初は念頭にありませんでしたが、振り返るとその点がとても重要であったのかもしれない、というお話でした。

そんな能勢さんの投げ掛けに対して会田さんから「あいちトリエンナーレ」に置き換えてもやはり同じことが言えるのではないかと思うし、アートを扱っている以上やはり多様な意見が出てくるのはあたりまえのことだと思う。それをなかったことにするのではなく、根気強く誠実に対話を続けていくということが重要なのではないかと感じている、とこれからのあいちトリエンナーレに対してのお話があり、第一部のスクールは終了しました。

それぞれが自身の経験の中からお話ししてくださった今回のスクール。自分ごととして考えるからこそ見えてくる問題や広がっていくことを実体験として聞くことができ、これからはじまる「あいちトリエンナーレ2019」と私たちはどう向き合っていくのかということを改めて考えるきっかけになるものだったと思います。

〈スクールの様子:第2部〉

DSC_0049.JPG
今回もこれまでと同様にワールドカフェ方式によるディスカッションを行いました。4人ずつテーブルにつき、およそ10分間ずつ今回のトークの内容について意見や感想、考えたことなどを話し合い、その後テーブルを移動しつつ数ターン、メンバーをシャッフルして議論を展開していきました。

ディスカッションでは第1部のトークを聞き、私たちが「自分ごととしてトリエンナーレを考える」という問いに対して、自分にとってどういうトリエンナーレだったらいいのか、他者にとってもトリエンナーレを自分ごととして考えてもらうには自分の身近な人にトリエンナーレのことをどう伝えていけばいいのかなどの意見があがりました。
また美術館で展示するということと街なかで展示するということの違いや、美術の敷居の高いイメージをどうすれば変えていけるのかなどの話へも展開していきました。

今回ディスカッションに参加してみて、それぞれがこうしてトリエンナーレについて話し合い、考える、この時間がもうすでにトリエンナーレを自分ごととして考える時間になっているのではないかと感じました。
そこから参加者それぞれがここでの出来事や話した内容について考え、それをまた誰かに伝え、共有し、そんな風に広がっていけばいいなと思います。

今後も様々なテーマで開催されるトリエンナーレスクール。新しい何かに気づくきっかけになるかもしれません。
(文:小川 愛)