2019年10月23日 その他

トリエンナーレスクール アンリミテッド ナイトディスカッション

第6回「分かるってなに?」

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ラーニングディスカッションプログラム

『トリエンナーレスクール・アンリミテッド・ナイトディスカッション』

第6回目「分かるってなに?」(10/11(金)実施)

レポート

「アンリミテッド」と冠しつつも最終回となった第6回は「分かる」をテーマに過去最高の参加者数で熱気あふれる回となりました。

「アート・プレイグラウンド はなす TALK」では作品をみた感想や考えたことについて、来場者同士でディスカッションするプログラムを実施していますが、ここでよく出て来るのが「分かる/分からない」というワードです。「分からなかった」「分かりやすくてよかった」などなど、私たちは分かることや分からないことを、楽しめる、楽しめないの基準にしているのかもしれません。でも、そもそも「分かる」とは何を指しているのでしょう。私たちには「分かる」ことが必要なのでしょうか。そんなことを考えながらナイトディスカッションがスタートしました。

司会進行の会田大也さん(ラーニングキュレーター)からは、「分ける」ということと「分かる」ということについて、最初の投げかけがありました。例えば山と川、湖と沼など「ここまでがAでここからはB」というように、「分ける」ことによってAとBの違い、境目がみえてくる、わかってくることがあります。でも、ここでよく考えてみると、AとBを「分ける」ためには、これがA、あれがBと「分かっている」ことが必要になってきます。つまり、「分かるためには分かっていることが必要」という、なんとも頭が混乱する事態が起こっているのです。また「分からない」と言えないことが苦しい場面もあったりします。思っているよりも「分かる/分からない」は私たちにとって重要なのかもしれません。

ワールドカフェ方式のディスカッションで、15分ずつ席替えをしながら議論を深めていきます。「インプットすることと、アウトプットすることを繰り返しながら分かっていく感じがある。そのプロセスが分かるうえで大事だと思う」「必ずしも分かったことをアウトプットしているわけではない」「ある時点で分かっていたことが、あるときに分からないことになるときもある」「分からなかったことに気づくことが、分かるための第一歩になる」「みんなが分かっていることってなんだろう」と、自分自身に照らし合わせたり、概念的なことをイメージしたり、議論を通して「分かる」の姿が膨らんでいきました。

ベストアイデアとしては4つが選ばれました。

1 いかに知らないかということを、自覚すること。

2 何かへの共感をベースにして、何かを知ろうとすること。そして、一度は結論を出すこと。

3 自分を取り巻く物事の広さ、深みと出会い触れること。

4 わからずやからはじめて、腑に落ちるまで考え尽くすこと。

この4つをめぐっての再ディスカッションでは、「腑に落ちる」というワードに注目したグループがあり、「腑とは、胃・腸・はらわたのこと、または心の奥底のこと。」という点から、「分かる」ということが脳の作用というよりも、身体的な感覚なのではないか、ということを考え出していました。身体的なものという視点は新しく興味をひかれるものでした。

最後、定義を決めるための投票では、なんと【1=3票、2=3票、3=4票、4=4票】と見事にフラットな結果となりました。6回目にして初めてのことです。「さらに決選投票をすることは野暮。今回のテーマにも、そしてナイトディスカッションにとってもこういった結果になったことがとても良いと思う」と会田さん。一つの定義に絞ることなく終了しました。

ナイトディスカッションは今回で最終回となりますが、アートに触れて心や思考が揺さぶられたとき、内省するだけでなくぜひ周りの人たちと話してみてください。その中には必ず発見や驚きやひらめきがあるはずです。対話することを終わらせることなく、ぜひ続けて「アンリミテッド」にしていってほしいと思います!

インフォメーション|

『トリエンナーレスクール・アンリミテッド・ナイトディスカッション』

毎週金曜日、16:00〜19:00(15:30より受付開始)

先着30名定員(途中参加、途中退場可能)

「アート・プレイグラウンド はなす TALK」(愛知芸術文化センター8階ロビー)にて

※「トリエンナーレスクール・アンリミテッド・ナイトディスカッション」とは。

2018年から開幕前まで月1回開催されてきた「トリエンナーレスクール」がかたちを変えて登場!ラーニングプログラムの1つである「アート・プレイグラウンド」の5つの拠点の中の「はなす TALK」にて、ディスカッションメインのトリエンナーレスクールを開催。

毎週金曜日に実施されるこのナイトディスカッションでは、「◯◯ってなに?」シリーズとして普段アートを語る上でよく使うけど、それって一体どんなこと?と聞かれたらすぐに説明できないような、そんな言葉について改めて考えてみることでどんな発見があるかをシェアしていきます。

ラーニングディスカッションプログラム

『トリエンナーレスクール・アンリミテッド・ナイトディスカッション』

第6回目「分かるってなに?」(10/11(金)実施)

レポート

「アンリミテッド」と冠しつつも最終回となった第6回は「分かる」をテーマに過去最高の参加者数で熱気あふれる回となりました。

「アート・プレイグラウンド はなす TALK」では作品をみた感想や考えたことについて、来場者同士でディスカッションするプログラムを実施していますが、ここでよく出て来るのが「分かる/分からない」というワードです。「分からなかった」「分かりやすくてよかった」などなど、私たちは分かることや分からないことを、楽しめる、楽しめないの基準にしているのかもしれません。でも、そもそも「分かる」とは何を指しているのでしょう。私たちには「分かる」ことが必要なのでしょうか。そんなことを考えながらナイトディスカッションがスタートしました。

司会進行の会田大也さん(ラーニングキュレーター)からは、「分ける」ということと「分かる」ということについて、最初の投げかけがありました。例えば山と川、湖と沼など「ここまでがAでここからはB」というように、「分ける」ことによってAとBの違い、境目がみえてくる、わかってくることがあります。でも、ここでよく考えてみると、AとBを「分ける」ためには、これがA、あれがBと「分かっている」ことが必要になってきます。つまり、「分かるためには分かっていることが必要」という、なんとも頭が混乱する事態が起こっているのです。また「分からない」と言えないことが苦しい場面もあったりします。思っているよりも「分かる/分からない」は私たちにとって重要なのかもしれません。

ワールドカフェ方式のディスカッションで、15分ずつ席替えをしながら議論を深めていきます。「インプットすることと、アウトプットすることを繰り返しながら分かっていく感じがある。そのプロセスが分かるうえで大事だと思う」「必ずしも分かったことをアウトプットしているわけではない」「ある時点で分かっていたことが、あるときに分からないことになるときもある」「分からなかったことに気づくことが、分かるための第一歩になる」「みんなが分かっていることってなんだろう」と、自分自身に照らし合わせたり、概念的なことをイメージしたり、議論を通して「分かる」の姿が膨らんでいきました。

ベストアイデアとしては4つが選ばれました。

1 いかに知らないかということを、自覚すること。

2 何かへの共感をベースにして、何かを知ろうとすること。そして、一度は結論を出すこと。

3 自分を取り巻く物事の広さ、深みと出会い触れること。

4 わからずやからはじめて、腑に落ちるまで考え尽くすこと。

この4つをめぐっての再ディスカッションでは、「腑に落ちる」というワードに注目したグループがあり、「腑とは、胃・腸・はらわたのこと、または心の奥底のこと。」という点から、「分かる」ということが脳の作用というよりも、身体的な感覚なのではないか、ということを考え出していました。身体的なものという視点は新しく興味をひかれるものでした。

最後、定義を決めるための投票では、なんと【1=3票、2=3票、3=4票、4=4票】と見事にフラットな結果となりました。6回目にして初めてのことです。「さらに決選投票をすることは野暮。今回のテーマにも、そしてナイトディスカッションにとってもこういった結果になったことがとても良いと思う」と会田さん。一つの定義に絞ることなく終了しました。

ナイトディスカッションは今回で最終回となりますが、アートに触れて心や思考が揺さぶられたとき、内省するだけでなくぜひ周りの人たちと話してみてください。その中には必ず発見や驚きやひらめきがあるはずです。対話することを終わらせることなく、ぜひ続けて「アンリミテッド」にしていってほしいと思います!