2019年5月16日 その他

ボランティア研修

選択研修(4月度)

「あいちトリエンナーレ2019」ボランティア選択研修(4月度) レポート

4月に入り、新年度で心新たにものごとがスタートしていく季節になりました。
全体研修に引き続き、今月から「あいちトリエンナーレ2019」ボランティアの選択研修がはじまります。
4月から6月まで行われるこの選択研修は新しい試みです。ボランティアのみなさんだけでなく、スタッフもドキドキしながらスタートしました。

第1回目は、「対話型鑑賞」「ラーニング」についてのレクチャーを1時間、ワークショップとして「ブラインドトーク」を1時間、計2時間の研修を行い、3日間(1日2回実施、計6回)で350人以上が参加しました。
3日間(4月12、13、14日)の様子をまとめてお伝えします。

レクチャー 「ラーニング」について

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選択研修は「ボランティアが一番トリエンナーレを楽しむことを実現する」ためのものです。対話型鑑賞はその一つの手立てでもあり、アートを楽しむことに対しての一つの考え方でもあります。「対話をしながら作品を鑑賞することの意義を、体験を通して学ぶ」、「ボランティア同士の交流をはかる」、「トリエンナーレへの理解を深める」この3つを主軸に選択研修の内容が構成されています。


第1回目となる今回の研修では、レクチャーとして、特別講師の平野さんやラーニングキュレーターの会田さんから「ラーニング」と「みる」ということについて、概略をつかみながら押さえるべきポイントが紹介されました。
あいちトリエンナーレでは第1回目からキッズトリエンナーレ、エデュケーションプログラムと名前を変えながら、継続して普及教育活動を行ってきました。今回はさらに「ラーニング」と名称を改めています。
これには、3年前に比べてアートのあり方や美術教育の考え方が変化してきたことが影響しています。イギリスのテート美術館はその歴史や先駆的な活動で、世界中に様々な美術館のモデルとして参考にされてきました。長くエデュケーション部門が存在してきましたが、2011年に「美術館の役割はラーニングである」との考えのもと組織改変が行われ、名称もラーニング部門とされました。その活動を紹介し、新たな学びの場として美術館を捉え直すシンポジウムが2017年に森美術館で開催されてもいます。
教育から学びへ。美術界のこの世界的な動向を受け、あいちトリエンナーレにとっても国内の芸術祭にとっても新たな試みとして「ラーニング・プログラム」が展開されます。


「ざっくりとしすぎているので専門家の方が見たら、コラ!ってなると思うんですけど」と前置きをして、教育学の「ラーニングの考え方」についての大まかな流れも紹介されました。

● 1960年代〜 "パッシブ(受け身)な学習観"
「ラーニングとは、行動を変えさせること」
● 1980年代〜 "アクティブ(能動的)な学習観"
「ラーニングとは、意味をつくりあげること。同じ体験をしても一人一人捉え方が違い、自分なりに「意味・意義」をつくりあげ、体験を再度トレースして理解するものである。」
● 2000年代〜 "ソーシャルな学習観"
「ラーニングとは参加すること。学習は1人で成立するものではなく、他者や環境の中で学習していく、社会における相互関係の中で学び合っていくものである。」

80年代以降からの学習は個人によって異なり能動的に行われるものであるという考え方と、2000年代からの他者とともに学ぶ学習観が「ラーニング」の土台となっています。

ここで、一つおさえておきたいのが「ソーシャリー・エンゲージド・アート」です。「地域アート」や、「アート・プロジェクト」も同じ面がありますが、コミュニティに関わり、そこでの議論やコミュニケーションによって何かしらの社会変革をもたらすような活動を、アート表現として行うアーティストが、1990年代以降登場してくるようになりました。有名なのは、1990年にニューヨークのギャラリーで発表された、リクリット・ティラバーニャの《パッタイ》です。自ら、パッタイ(タイ風焼きそば)を調理し来場者に振る舞うことで、コミュニケーションの生まれる場を創造しました。「コミュニケーション」や「つながり」「議論」そのものがアート表現として捉えられるきっかけとなりました。
また、アラヤー・ラートチャムルーンスックの《マネの「草上の昼食」とタイの農民たち》では、屋外に置いたマネ《草上の昼食》の複製画をみながらあれこれと話す農民たちの様子が映像作品となっています。その様子は対話型鑑賞をしているときと、ほとんど変わらないようにみえます。「何か」について様々な視点から思考を深め、意見をかわしコミュニケーションを取っていく、「何か」に喚起されるコミュニケーション自体が非常にクリエイティブな活動であり、それが時にはアートとしても成り立っています。

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「みる」ということ

話は一転し、「まなざし」について。
人間特有の行動理論として、「共視(共同注視)」というものがあります。仙厓義梵《指月布袋図》では、画面中央に描かれた布袋が右手を上にあげて、上空を指差しています。月は描かれていませんが、月がその先にあるだろうと想像できます。布袋の前には幼児がいて笑顔で上空を見上げています。月を見ているのでしょうか。しかし、わたしたちは生まれてしばらくは、この「指差し」を理解できません。生まれて3ヶ月の時点では、指自体を見てしまいます。14ヶ月をすぎると指ではなく、指しているものと意図を理解することができるようになります。つまり、人ははじめから「みる」ことができるわけではない、ということです。


思っている以上に私たちが「みていない」ことを裏付ける調査があります。アメリカの美術館で1928年に行われた、作品1つあたりの鑑賞時間を調査したもので、結果は平均10秒。日本でも似た調査が1983年に行われましたが、大差ない結果が出ています。
では、長い時間がかかっていれば「みている」のかというと、そうでもないようです。心理学者のアビゲイル・ハウゼンがまとめた「美的発達段階」では、1から5までの段階に美的な感受性をレベルわけしています。それは年齢には関係なく、高齢だからといって最上段階にいるわけではありません。ハウゼンによると多くの人が1か2の段階に止まり、それ以上の高度な美術鑑賞はできてないと言います。

それには美術や作品の知識が必要不可欠なのでしょうか。「○○を代表する作家はだれか」という問いをされたら、知識がなければ答えることができません。が、作品を目の前にしなくても答えられる問いでもあり、答えたところで完了するものでもあります。知識があることは邪魔にはなりませんが、それだけで「作品をみる」ということになるのか、というとやはりこれも違いそうです。

ここで画面に映し出されたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》です。「この作品、みなさん知ってますよね?」と会田さん、平野さんが呼びかけ、「ではこれからする質問に答えてください」と言って、画面からモナ・リザを消します。

※ぜひ皆さんも質問に答えてみてください!
・どんな眉毛でしたか?
・髪には装飾がありましたか?
・どこに座っていましたか?
・背景にはなにがありましたか?
・手を組んでいましたが、左右どちらが上でしたか?
・組まれた手の指は少し開いていますが、どの指がどのように開いていましたか?

どれくらい自信を持って答えられたでしょうか?最初の眉毛の時点で「え?」となっていた方も少なくありません。背景に至ってはもうおぼろげです。画面にモナ・リザが戻り、一つずつじっくり見ながら確認していきます。眉毛はありませんでした。薄いベールのようなものを頭にかぶっていました。手すりや柱などが見えるので、屋根付きのバルコニーに座っているのかもしれません。背景には石橋があり、道もみえます。道はどこに続いているのでしょうか。画面に描かれていない外側へもイメージが膨らみます。一見しただけで作者と作品名がわかるくらい有名な作品ですが、実際には「ほとんどみていない」ということがよくわかります。つまり、「これだ」と思った途端に自然とみることをやめてしまっているのです。意識を持って自分の目で一つ一つ確かめながらみていくことで、はじめてモナ・リザを「みている」という気持ちになります。

「作品をつくるのはアーティストですが、その価値を決めるのは鑑賞者なんです」と会田さん、平野さん。ゴッホやモネなど、当時の鑑賞者から受け入れられなかったアーティストはたくさんいます。時代が変わり、鑑賞者が変わることで価値もまた変わっていきます。教えられるだけの鑑賞者ではなく、自分の意思で考察を深め、作品と向き合えるように鑑賞者のラーニングをサポートすることが重要です。

最後に今回のレクチャーが以下のようにまとめられました。

● アートを「みる」ことができる人は大人でも非常に少ないこと。
● アート作品の意味や価値をつくるのは鑑賞者である。
● 受け身の鑑賞者をつくる(エデュケーションする)のではない。
● 鑑賞者のラーニングこそが重要で、そのためのサポートをガイドが行う。

ワークショップ「ブラインドトーク」

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「みること」と関連したワークショップとして、ACOPが開発した「ブラインドトーク」を行いました。2人1組になり、目を閉じて作品をみないようにした相手に、言葉だけで作品の様子を伝え、最後に実際に作品を目にして、意見や感想を共有します。


1. 目を閉じた相手に作品を言葉で説明する。(5分間)
※説明の合間に質問をはさんでもいい。
2. 「伝えられた割合、イメージできた割合」を確認。
3. 目を開けて実際に作品をみる。
4. イメージと同じところや違う部分、伝えにくかったところなどを共有。
5. 全体と共有。

大半が初対面で、自己紹介しつつ近い席でペアになり、目を閉じる役、説明する役をまず決め、ドキドキしながら、ワークショップがスタートしました。

作品は今回のトリエンナーレに参加する作家のものを選びました。1回目は弓指寛治《スイスの山々》(2018年)ペアになった相手に、「少女がいて」「山が描かれていて」など何が描かれているかを伝えていったり、「暗い感じがする」「アニメみたいな雰囲気」といったような印象を伝えてから細部の説明に入ったり、「A4くらいのサイズで横向きです。その縦3分の2ほどを使って山が描かれていて...」「少女の右にはヤギがいて、そのヤギの上には3本のモミの木が並んでいて」と位置関係をできるだけ正確に伝えるなど、相手が作品をイメージできるように苦心しながら説明していきました。

時間になり、まだ目を開けない状態で「伝えられた割合、イメージできた割合」を確認しました。9割以上相手に作品を伝えられたと感じた人が多く、イメージがどれくらいできたかでは、5割以上イメージできたと感じる人が多くみられました。

いよいよ目をあけて実際に作品をみてみます。目をあけて作品をみると「おー」「なるほど」「うんうん」とざわめきのように声があがります。どこがイメージと違ったか、伝えきれなかったところはどこか、などお互いに共有し、全体でも気が付いたところなどを共有しました。このときに多く出たのは「まず、縦か横か作品の全体の"枠"を伝えること」でした。ほとんどが、作品に描かれているものを説明することに集中してしまい、そもそも縦長なのか、横長か、絵画かなのかどうか、といったことに触れていませんでした。「頭の中では縦長だったので、びっくりした」という声もありました。他には「色を伝えるのが難しかった」という意見も。「自分の印象を伝えることで、逆に印象のズレがおこったようだったので、どこまで印象を伝えるものか悩んだ」という意見には、「どうしてそう感じるんですか?」というペアからの質問で、改めて自分の印象の元を探ることができたという声もありました。

役割を交代して2回目。和田唯奈(しんかぞく)《Empty and poke》(2018年)が2回目の作品です。作品をみた説明役からは「えーっ!」「むずかしい!」と声が漏れたり、大きく息を飲んだりと、困惑した様子が伝わってきます。1回目の共有を生かし、作品が横長でどうやら描かれているらしい、という全体の様子を伝えてからスタートするところが目立ちました。ですが、どのグループでも苦労していたのは、作品の全体の様子を伝えるところ。隙間なく少女のような宇宙人のような生き物で埋め尽くされた画面、どのように言えばこのイメージが伝わるか、言葉や例を懸命に探します。

2回目での、「伝えられたと思う」割合で一番多かったのは3割以下。ほとんどの人が、全然伝えられなかったと感じていました。が、「イメージできたと思う」で一番多かったのはなんと9割!大半がイメージできたと感じていました。この差は興味深いところです。
目を開けて作品をみると、「わー!」「こんななの!?」「すごい!全然思ってたのとちがう!」と驚きの声が楽しそうにあちこちから上がります。「でも、色の雰囲気はイメージどおり」「真ん中の大きな2人の少女はイメージしたのと同じだった」と、部分的にはイメージ通りだったこともわかりました。3割くらいしか伝えられなかった、と意気消沈していたほとんどのグループで、その3割分は相手の頭にきちんとイメージされていたようです。

1回目の共有では、自分の印象をどこまで伝えるのかという話題が出ましたが、今回では逆に最初に作品の印象を伝えることで(「ギョッとする感じ」「ぎちぎちにつまっている」など)、作品全体の大きなイメージを共有することができる、という点も発見されました。情報量が多い場合、作品の特徴をどこに定めるかによって、作品の説明もかわってくるという意見もありました。

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ワークショップを通して、みていると思っていてもみていない部分があること、それは1人では気づきにくく、他の人とみていくことで気づかされること、「お互いに聴き合う」という関係を意識することが大切で、それによって鑑賞が深まること、質問によってさらに気づかされたり、違う視点に導かれたりすること、といった発見があり、その都度、自分自身と作品が出会い直し鑑賞体験が深まっていくということを、実感を伴って理解されたのではないでしょうか。
会場からの感想で「対話をしながら作品をみていくなかで、自己紹介ではわからない、それぞれのパーソナリティにも触れることができた」という意見があり、ボランティア同士の交流にも大きく貢献したのではないでしょうか。研修の中で、様々な考えや見方にどんどん触れていってほしいと思います!

※4月12日(金)の研修では、津田大介芸術監督が飛び入り参加。弓指さん、和田さんの作家紹介をされました!今後の監督の突撃参加にも乞うご期待!

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(文 松村淳子)