【観劇レポート】青木涼子一夜限りの夢幻─ 能と現代音楽の刺激的な融合

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世界最古と言われる舞台芸術で日本独自の〈能〉と、西洋クラシック音楽の流れを組み20世紀以降に生まれた〈現代音楽〉。この一見かけ離れたものに思える二大芸術を組み合わせ、能の革新的な表現に挑み続けているアーティスト・青木涼子による『秘密の閨(ねや)』が、「あいちトリエンナーレ2016」の最終日、10月23日(日)に一夜限りで上演された。

気鋭のフランス人作曲家オレリアン・デュモン作曲による『秘密の閨』は、2012年にパリで試演はされているが、今回が世界初演。本来のシテ(主人公)とワキ(脇役)の両方をひとりで演じるモノオペラの形式で、能は舞と謡(うたい)で構成されているが、青木は前回掲載のインタビューで語っているとおり、謡を重視した表現を行っている。

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〈能オペラ〉という表現がなされている今作は、謡の部分も作曲家によって書かれ、いわゆるお能の舞台とは全く異なる新しい表現を目指したもの。上演が始まると、冒頭からその斬新さに驚かされた。
ビニールでできた半透明の繭のようなものの中に佇む女(青木)が、「おん…」「女…」「鬼…」と呟きながら能面を操り、時に内側から面をライトで照らしている。
「陸奥(みちのく)の、安達が原の黒塚に鬼籠れりと言ふはまことか」
平兼盛が詠んだ歌で始まる今作のモチーフとなっているのは、観世流では『安達原』、他流派では『黒塚』と呼ばれる鬼婆の話である。あらすじはこうだ。

平兼盛が陸奥国に下った際、友人の源重之が、藤原実方の陸奥下向に随行し、安達ヶ原の黒塚という所で暮らしていた。宮古から伴ってきた両親や娘たちも一緒であるという。噂を聞いた兼盛は末娘に強く心を惹かれ、結婚を申し込むが、まだ小さすぎるのでと両親は許可しない。兼盛は後ろ髪を引かれながら都に戻り、いつのまにか娘のことを忘れた。その後、成長した娘は別の男と結婚。やがて娘の両親と兄の重之も亡くなると、夫はほかの女の許へ通い始めた。それでも娘は荒れ果てた黒塚に住んでいた。

そして長い時が流れ、熊野の山伏東光坊の阿闍梨・祐慶一行は、廻国行脚の途中、陸奥安達ヶ原にやってくる。いきなり日が暮れ、途方に暮れていると、運良く一軒家を見つけ、あるじの老婆に宿を乞う。老婆は一行を歓待するが、「決して閨の内を覗いてはならない」と釘をさす。皆が寝静まった頃、不審に思った強力が我慢できずに閨を覗くと、そこには人間の死骸や白骨が山となって積み重なっていた。ここは人食い鬼の住み家であったのだった…。

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『道成寺』『葵上』と並んで“三鬼女”と言われる『安達原』。オレリアン・デュモンはこの古典作品から、若い女がなぜ鬼婆なってしまったのか、という点に着目して作曲を手掛けたという。平安時代の話だが、ヴァイオリンやチェロなど西洋楽器のアンサンブルによる生演奏で多彩に表現される音楽は、意外にも違和感なくマッチしていた。
青木は娘役、鬼婆に食べられる山伏、鬼婆に変わった娘の三役を、謡を交えながら順に演じていくのだが、小道具の使い方も独特だ。たとえば、デパートのショッピングバッグのようなものが天井から降りてくる。そこに入っているのは、女が身に纏う白無垢である。羽根を幾つも縫い付けたような印象的なこの花嫁衣装は、レディー・ガガがそのボディーウエアを着用したことで世界から注目される廣川玉枝によるものだ。また物語の終盤、白髪姿の鬼婆と化した女が人間の骨にかじりつくシーンでは、テーブルが登場。これは柱のように見えていた木材を組み立て変化させたもので、世界的に活躍する建築家・田根剛史によるもの。舞台美術もシンプルながら印象深いものだった。

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ラスト、紙袋から取り出した能面をつけた鬼婆は、「恥ずかしのこの姿や〜」と言い、隠れるようにテーブルの下へ。不穏な音が場内に響く中、暗転し終幕─。と同時に、拍手喝采が巻き起こった。
伝統的な古典芸能と現代のアーティストたちによるコラボレーションにより、未だかつて見たことのない舞台作品が出現したこの日。〈能オペラ〉というひと言ではくくりきれない豊かな表現によってトリエンナーレの終幕を飾った。

TEXT:望月勝美 PHOTO:南部辰雄

 

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