【レポート】異色な映像プログラム「三人の女」

3nin_main

「あいちトリエンナーレ2016」の映像プログラムの中でも、革新的な作品が伊藤高志による「三人の女」だ。

伊藤は映像の新たな鑑賞方法を提示した。3つのスクリーンの映像をメインに、舞台に人が登場するなど、3次元での立体的な表現として発表された。
現代美術の世界でいえば、マルチスクリーンであることはそれほど珍しいことではない。しかし、美術館で映像が流れっぱなしになっているように、誰もがいろんなタイミングから観るものが多く、決められた時間にいわゆる映画のように頭から観るというのはそれほど多くはない。
こちらの作品は、劇場で映画を観るように物語を感じながら鑑賞することになる。タイトル通り出演するのは“三人の女”。どうやら映画の撮影や録音のスタッフらしい。
3つのスクリーンがそれぞれ同じ映像を映すこともあれば、3分割されたパノラマ映像のように角度の違う景色が映ったと思えば、被写体と被写体の目線の先が映ったり……。

3nin_sub1 3nin_sub2

セリフもなく、微かな音と恣意的にも感じるような映像は、観る人それぞれの想像力をかきたてる。
途中、映像に合わせて客席の後ろから「ドスン!」という音が。上映後、観てみると砂袋のようなものを落とした跡がみえる。アナログな形の3Dサウンドも、立体の舞台での上演ならでは。
最後、スクリーンから出てきたように観客の前に登場する“一人の女”。彼女が映写機の映像を止めることで物語も終幕する。
映画というべきか。演劇というべきか。はたまた現代美術というべきか。どちらにせよ、1回では飲み込めない、なんとも不思議な体験であった。

3nin_sub3 3nin_sub4

鑑賞後に行われた、伊藤高志と、「三人の女」の音を担当した荒木優光(音響作家)、そして芸術監督の港千尋によるトークで、少しだけこの作品を理解することができた。

3nin_talk1

「これは絶望的な死の世界を描いてるんです。3人のうち2人は愛し合い死んだ存在で、生き残った1人のそばで見守ってる」と話す伊藤。
正直、映像から何かピリピリとした緊迫感は伝わりつつも、死んだ2人だとは気がつかなかった。ただ「どう解釈してもらってもよい」と重ねて話す。

ちなみに、物語には安部公房原作の映画「燃えつきた地図」のポスターが貼ってあるシーンが出てくるが、港監督からも「安部公房の戯曲『幽霊はここにいる』を思い出す」というような発言も。伊藤いわく「安部公房には影響を受けている」との発言も出たので、気になった人は観てみるのもいいかもしれない。

3nin_talk2

港監督は「音が素晴らしい」と話す。「2回目観るなら目を瞑ってみたい。映像からそのまま流れる環境音、またそれ以外のも含めて素晴らしい作りになってる」。
音響作家の荒木は「映像の存在感がすごいある作品なので、それを音で表現しました」と話す。

劇場という場所、マルチスクリーンでの上演、音の使い方、映像と現実、いろいろな意味でジャンル分けしがたい「三人の女」。
そして観客も形容しがたい感情を心の内に抱える。ここで観たものは何だったのか。しばらくその答えを探してさまようことになりそうだ。

「三人の女」はじめ、愛知芸術文化センターでの映像プログラムの上映は終わってしまったが、地下鉄伏見駅の旧サービスセンターでは会期中、ずっと作品を上映している。
もし映像プログラムを見逃した!なんて人は、そちらをチェックして観るのもいいかもしれない。

最後に、トーク中に出た「あいちトリエンナーレ2016」出品作家にも触れておこう。
まずひとり目は、“音”をテーマとしたインスタレーションを行っているクリス・ワトソン。愛知県と同じ緯度や経度の音を世界中から集める“音”の作品を発表している。映画の登場人物が音素材を集めてることから「映画の内容と美術展が期せずして繋がってびっくり」と話すのは港監督。
もうひとつは、劇中でも行っていたフロッタージュでの作品を展示している岡部昌生。「フロッタージュはモノに触れて記録するので、距離がないんです」と話すのは伊藤。岡部がフロッタージュという技法で何を表現したかったのか、そちらも合わせて観てみてほしい。

TEXT:小坂井友美 PHOTO:菊山義浩

 

サイドナビ