【公式ガイドスタッフによる裏ガイド 】 ③ジェリーズマップをいかに見るか

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公式ガイドブックの表紙を飾っているのは、ジェリー・グレッツィンガーというアメリカ人アーティストの作品だ。ご存知のとおり「あいちトリエンナーレ2016」のメインビジュアルとして起用されている。事務局の方々から初めてその名を聞いた時、これだけの芸術祭のメインビジュアルを担うアーティスト名を知らないことに焦りを覚えたが、それもそのはず、アートの世界でもほぼ無名の存在だった。


公式ガイドブックとブックカバー。アートワークにはすべてジェリーズマップが使われている。

起用したのは、パリの展示会で一目惚れしたという港 千尋芸術監督である。ジェリー氏は40年にわたり個人的な趣味で地図を作り続けてきたというが、家族がそれを発見し公開を薦めたことが今日に繋がっている。どこかヘンリー・ダーガーを彷彿とさせるファンタジックな逸話も魅力的だ。先日、港監督と食事をご一緒した際にジェリー氏の話題になった。「依頼されたからとか、人に見せるためではなく、ただ作りたいから作る。それはアートの根本だし、しかも40年分、3000枚以上もある。もうクレイジーですよ(笑)。すでに評価の決まったものよりも、そうした作品、創作エネルギーから出る迫力を日本に紹介したかった。アート界だけでなく、いろいろな作り手の創作意欲を刺激する作品だと思う」と熱っぽく語る姿が印象に残っている。温和な印象もある港監督が、自身のインスピレーションを信じ無名のアーティストを起用したことに驚いたのと同時に、権威主義的なものに対しての反骨心にも共感した出来事だった。ちなみに今回の出展作品のなかで、一番最初に決定したのが本作だと言う。

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写真中央の作品が記念すべきジェリーズマップ一作目。都市部が描かれている。

公式ガイドブックの表紙として起用するまでには、実は紆余曲折があった。当初のイメージは展示作品のコラージュ、イベントロゴ、街の風景との組み合わせなど、ガイドブックとしてのスタンダードなアートワークだった。ジェリー・グレッツィンガーの作品は全景写真しか手元になかったが、正直なところ表紙としては使いにくいのではないか、というのが第一印象だった。きっかけはアートディレクターの伊藤敦志氏と、ジェリー氏のホームページを見ながら食事をしていた時だったと思う。そこにはジェリーズマップの全体像だけでなく、地図一枚一枚の詳細が掲載されており、集合体とはまた違った魅力にアートディレクターは強く惹きつけられていた。巨大の地図の細部に注目すると、作品の全く違った色が見えてきたのである。無名である故にまだ検証されきっておらず、素材として扱いがいのある作品であることに、その時初めて気づいた。

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メインビジュアルで起用されているジェリーズマップの全体像。

しかし「作品を全体像でなくディテールで見せる」というアイデアを具体化するためには、表紙に合うマップを探し出す必要がある。その総数約3000枚、しかも作品が日本に届くのもガイドブック校了の1週間前という状況だった。とても全部を見る余裕はなく、ある程度の偶然性に頼ることにした。作品は4つのダンボールに分けられ事務局に輸送されてきたが、そのなかから候補対象を一箱に絞った。仮にも芸術祭のメインを飾るアート作品が、愛飲しているのであろう酒類のダンボールで無造作に輸送されてきたことに驚きつつ、開封して作品を広げていった。その際の興奮は今でもよく覚えている。彼の作品の一枚一枚を個別に見ていくと、どれも優れたバランス感覚で地形や色がデザインされていた。一枚単位でもひとつの作品として完成されているが、ジェリー氏はそれらを敢えて集合体で見せているのである。この作品から感じる所在不明なエネルギーの一端が、少し理解できた気がした。最終的には30点ほどの候補のなかから、色目を基準に現在の作品を選んだ。後日「愛知県に似た地形をよく見つけましたね」と指摘されたが、実は全くの偶然。選んだダンボールも偶然、カラフルな地図を見つけたのも偶然、地形が似ていたのも偶然だ。

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会場の到着直後の様子。ダンボール4つに分けられ輸送されてきた。

余談だが、彼の作品はすべてナンバリングされている。規則性を持って並べられているので、法則を理解すれば簡単に見つけることができる。表紙は(N13/E6)、ポケットマップは(N20/W20)。実際にジェリー氏は、この番号を元に我々に表紙の位置を指し示してくれた。ガイドブック、ポケットマップの場所も探してみてはいかがだろう。

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ジェリーズマップの前に立ち、作品に近づいたり離れたりを繰り返す。それはGoogle Mapなどのマップアプリを操作している感覚に近い。全景と細部のディテールには、まるで別の作品のような魅力があり、その視点は鑑賞者が自由に設定することができる。普段、スマホアプリやゲームで慣れ親しんでいる感覚を、ジェリーズマップは、とてもアナログな方法で鑑賞者に体験させてくれるのである。それはマップ制作が始まった40年前には、想像もしなかった感覚に違いない。ジェリー・グレッツィンガーというアーティストが、2010年代の今、発見されつつあるのは決して偶然ではないように思える。

TEXT:阿部慎一郎

  

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