港 千尋 芸術監督 インタビュー【その②】旅 について

港千尋監督_インタビュー2

あいちトリエンナーレの芸術監督を務める港 千尋。イベントの見どころをはじめ、テーマ、地域なども迫るインタビューを、3回に分けてご紹介します。

その②「旅」

――3都市を使うビジョンは、当初から具体的にありましたか?
それはリサーチしながらですね。前回とはまた違う場所も使いますので、ひとつひとつ実際に見つめながらです。毎回違う場所を発掘して、交渉して、そこに合うアーティストに見てもらって作っていく。大変ですよ(笑)。でも、そこが醍醐味ですよね。

――旅というテーマを考えると、豊橋が会場に加わったのは大きな点ですよね。
岡崎と同じ三河地方ですが、また違った取り組みができていますね。路面電車が走るほんとうに魅力のある街です。今回は3つの都市を電車で移動できるので、そこでも旅が始まることになる。作品だけではなくて、展示を見に行くあいだに生まれる余白もいいと思いますね。

――時代性という点では、10年前20年前の旅とは少し意味合いが違いますよね。
余談ですけど、例えば20年前、ホテルはどうやって予約してました?

――『地球の歩き方』を見ていました(笑)
それと電話ぐらいしかないわけですよね(笑)。インターネットのない時代にどう旅行したのかを考えてみると、ガイドブックと電話しかないわけです。今は、泊まる場所の前のストリートがどうなっているかすら見られる。これは大きな違いですよね。80年代の始めに南アメリカを旅行しましたけど、ガイドブックさえないんです。行ってみないとわからない。その街に着いてホテルの情報を聞いて直接行くみたいな、それが旅だったんですよ。今は情報がありすぎて、逆につまらないという考え方も出てきてるけど、それは旧世代の考え方。今はまた別の旅のやり方、歩き方が生まれてきている。日本でも民泊が最初に解禁されましたけども、中世、それこそホテルがなかった時代に一宿一飯という言葉がありました。そういう意味では現代は、また新たな中世になるのかなと。江戸時代の旅は、いつも宿場町に泊まるわけじゃないですよね。東海道五十三次だったらいいですけど、そうじゃないとすると、一宿一飯のお世話にならざるを得ない。民泊っていうのは、その時代の旅の在り方に返るというか。もちろん現代ではネットで予約するわけですけど、それでも泊まるところは全く違うわけです。設備も違うし、何しろ人が違う。そこにみんな魅力を見いだしてるわけじゃないですか。そうじゃなければ、世界中でこんなに民泊が成功するわけはないと思うんです。僕らも結構利用することが多いんですよ。例えばヴェネツィアでビエンナーレがありますが、ホテルはなかなかおさえられないんですね。高すぎるし予約も取れない。だからアート関係者で民泊を利用している人は、かなり多いと思いますね。誰かのおうちに泊まるわけですから、これはやっぱり中世ですよ。世界中の都市で旅の中世化が起きていると思います。非常に面白い、エキサイティングだと思います。

――旅というテーマを、作品として落とし込んでいくビジョンは、最初からある程度具体的に見えていたのでしょうか?
僕自身、学生時代からずっと旅をしながら写真を撮ってきました。南米から始まった長い旅です。現代文化にとっても重要な地域なので、キュレーターチームを作るときそこは反映したいなと。1人はブラジルから、もう1人はトルコから参加しています。コンテンポラリーアートの世界はまだまだ欧米主導なところがありますから、あえて日本ではまだ紹介されることの少ない、中南米や中近東を重点的な地域として設定しました。アジア地域もそうですね。まだ展覧会に出展されたことがなかったり、未発表の作品に力を入れました。こうした地域的な広がりは、最初から実現したいと思っていました。

――とても挑戦的な選択ですよね。
普段から地球儀で考えるような癖が付いていますので、どこどこの地域というよりは、地球全体で考えるというのでしょうか。それもバラバラではなくて、何らかの意味でつながっていく関係、そういうことを考えながら枠組みを広げていきました。“キャラヴァンサライ”っていうかなり明確なイメージが出て、スタッフ間でも少しずつ共有イメージを広げていきました。最初は面食らったと思うんですよ(笑)。キャラヴァンサライはシルクロードの休息所なんですけども、日本の文化は、ユーラシア大陸の雑多な文化が全部流れ込んで作り上げられている。日本の文化自体が、キャラヴァンサライ的な方向性の文化だと思うんです。それが逆に西に向かうこともありましたよね。ちょっと脱線しますけど、正倉院にある白瑠璃碗、ガラスの有名な碗なんですけど、同じものがペルシャにある。日本のガラス細工、ガラス工芸はキャラヴァンサライを経由しながら少しずつ変化してきたわけです。仏像もそうですね。日本の文化の基礎的な部分は、そうしたいろいろな要素の中で作られているし、それはたぶん日本だけではなくて、いろいろな地域で起こっていることです。加えて現代のアーティストはもっと移動しますよね。そういう意味では、すごく長い時間で作り上げられてきた歴史的な文化と、コンテンポラリーアートがうまく同じテーマでつながる気がしています。

――あいちトリエンナーレは現代美術、舞台芸術と、複合性を持った芸術祭です。今までの話を聞くと、過去2回とはまた違った解釈で複合性をひろげているように感じました。
パフォーミングアーツを含む芸術祭はありますが、確かにここまで本格的ではないと思います。オペラをプロデュースする国際芸術祭っていうのはほかにないと思いますし、映像プログラムにしても25組と、質的にも小さな映画祭並みと言えます。それらにどう一体感を持たせるのか。個別のジャンルのあいだにどういった印象を持たせるのか、これはチャレンジですね。バラバラにすることもできますが、それだとあいちトリエンナーレの良さは失われてしまいます。複合的でしかもテーマ性を打ち出すっていうのは、ともすれば看板倒れになる危険があるわけで、相当チャレンジングな芸術祭だと思いますね。

【その③】「あいちトリエンナーレ2016」についてに続きます。近日公開予定。

INTERVIEW:阿部慎一郎 PHOTO:川島英嗣

 

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