ジェリー・グレッツィンガーインタビュー

_DSC0512

★ジェリー・グレッツィンガーについてはこちら

――あいちトリエンナーレ2016参加の経緯をお聞かせください。
あいちトリエンナーレ2016芸術監督の港千尋さんに招待され、光栄でした。日本で展示をしたことはないのですが、もしも日本人の目に触れれば、私の作品に興味を持ってもらえるのではないかと、いつも思っていましたから。

――1960年代に地図の制作を始められた時の、きっかけや動機は何だったのでしょうか。
最初は自分のやっていることがアートだとは思っていなくて、単なる気晴らしだったんです。ただ、常に地図には興味をもっていて、中学生の頃と同じように描き続けていました。

ジェリー_1
ジェリー・グレッツィンガー《Jerry’s Map》 Photo: Stephan Taylor

――地図は長らく描きため、保管されていましたが、発表に至った経緯は?
息子のヘンリーが屋根裏で蓋無しの箱を見つけ、私のところへ持ってきて「お父さん、これ何? もらってもいい?」と言うので、箱の中を見ると、私の地図でした。そこで私は息子に言いました、「だめだよ、それはやれない」と。でも、それがきっかけでまた地図に取り組むようになりました。その後、友人のアーティストが私のスタジオで地図を見て、一般の人に見せるべきだと言ったんです。

――当初と現在で描き方の変化を踏まえ、制作方法を具体的に教えてください。
作成手順はとても複雑です。最優先の基本原則やルールと、いきあたりばったりの選択との組み合わせなんですよ。これは、私が地図を描き始めた当初の手順とは非常に違っています。最初の頃の地図は、具象的で、標準的な地図に用いられる図表的なシンボルで構成されていました。しかし1980年代に入って、それをもっと抽象的にし始めたんです。今いちばん私の興味をそそっているのは、地図のそういった抽象性ですね。

ジェリー_2
photo:港千尋

――地図を制作するうえで現実世界から着想を得ることはありますか。
はい、最初の地図は、もともと具象的なものになるはずでした。飛行機の窓をのぞき、景色を見てヒントを得ていましたからね。でも今では、自分の個人的なアーカイブから、いろいろな要素を取り出して合体させています。また、友人のアーティストたちを呼んで、彼らの描いた“ゲスト・パネル”を進呈してもらったりもしますよ。

――地図には「Invading Void(インヴェイディング・ヴォイド=侵食する空白)」の存在があり、ある種の物語や時間を感じますが……。
当初はなかったのですが、地図に取り組みだして1~2年過ぎた頃でしょうか。制作を進めるにつれ自ずと生まれてきたんですよ。地図の第1段階では素の大地、第2段階では農場や道路、そして第3段階で“インヴェイディング・ヴォイド”という偶然性をもった概念が現れたんです。このインヴェイディング・ヴォイドはもともと、次第に地図の全表面を飲み込むという、相容れない要素として思いついたものです。ランダムに侵食していく“空白”を食い止めるべく、人間が壁を立てていくのですが、そのストーリーはカードを引いて決めています。あとから見てみると、カードに意志を感じることもあって面白いですね。

ジェリー_3
photo:港千尋

――物語が制作に影響する面もありますか。

ええ、影響しますね。ただ、何がどう現れるかは、行き当たりばったりなんです。

――“想像上の都市の地図”とは、ご自身にとってどんな意味を持っていますか。
それはプロセスを表していて、プロセスがどのように形を持って現れてくるかを見ることに私は惹かれています。いつも自分に心地よいイメージを探っていて、そうしたイメージを生み出すために、プロセスにちょっとした変更・変化を加えているんです。

――地図が変化している様子は、SNSを通じて定期的に公開していらっしゃいますね。

最近は、私が取り組んできたパネルの画像を毎日、Twitterに投稿しています。それでも、地図に加えた変更をすべてお見せすることはできないんですよね。

ジェリー_4
Jerry’s studio

――かつては建築や服飾デザインなども手掛け、人文科学や考古学にも造詣があるとのこと。またチュニジアでの海外生活も経験されていて、ジェリーさんは当芸術祭のテーマ「虹のキャラヴァンサライ」にふさわしい“旅するアーティスト”のイメージです。ご自身では、過去のキャリアを今どのように振り返り、どう創造の旅を歩んできたとお考えですか。
今までプロフェッショナルで独創的な生活ができて、とても幸運でした。そして30歳を過ぎた時から、より創造的な生活へと積極的に向き合うようになっていったんです。その前は、どちらかと言うとアカデミックな世界にいたんですよ。だから学生時代からの相談相手は、私が学者になるべきだと考えていたほどで……。でも私がやりたかったのは、自分の手でものをつくることでした。30歳になってやっと、そうする勇気が持てたんです。

――主に本国アメリカで展覧会を行ってこられましたが、昨年はパリで反響を呼びました。日本での反応にも期待はありますか。また、初来日となりますが、日本の印象は?
まず、日本の来場者が私の作品に興味を持ってくださることを期待しています。日本に対する私のイメージは、とても多岐にわたっていますよ。最初の印象は、京都にあるような、美しく伝統的な日本建築や庭でしょうか。10代の初めの頃、地元の図書館の本でそういったものを見た記憶があります。また最近で言うと、日本人の自己表現にとても興味をそそられています。日本は、伝統的な芸術から近代的なストリート・カルチャーに至るまで、目を楽しませるお国柄だと思いますね。

――最後に、あいちトリエンナーレ2016に向けて抱負をお願いします!
私の作品と日本訪問を通じて、日本の人々や日本の文化との絆を深めたいと思います。

ジェリー_5
photo:Tyler Shumway

INTERVIEW:小島祐未子

ジェリー・グレッツィンガー 公式サイトはこちら

サイドナビ