清州越商人の屋敷と江戸時代の風情が残るまちを歩く
名古屋の都心部にありながら、
戦災を免れ現存する伊藤家と界隈の町並みを堪能!
名古屋駅近くの町中に残る江戸時代の情緒。
名古屋市四間道(しけみち)町並み保存地区の特色ある景観を味わいつつ、
開削された堀川、名古屋城下を作るために行われた清洲越(きよすごし)にまつわる見所などをご案内します。
伊藤家は、堀川水運を利用して家業を営んだ商家の屋敷の特徴を今もなおとどめている貴重な県指定文化財です。
美しい小屋組、かまど、座敷や庭の眺めなど、築約300年(?)の空間で過ごすひとときを楽しみます。
四間道・伊藤家住宅
Shikemichi and Ito House
9.1.sun 9:45-11:45
- 定 員=20名
- ガイド=伊藤公夫(堀川文化を伝える会会長)
- 設 計=不詳
- 施 工=不詳
- 竣 工=江戸時代中期
- 住 所=名古屋市西区(個人宅)
前日降った雨で少しだけ涼しくなった9月1日、「あいちトリエンナーレ2013オープンアーキテクチャー 四間道・伊藤家住宅」が開催されました。
地下鉄丸の内駅にて19名の参加者と待ち合わせ、堀川・四間道の町歩きスタートです。ガイドは「堀川文化を伝える会」会長の伊藤公夫さんにお願いしました。長年堀川文化に情熱を注いでいらっしゃる伊藤さんならではのエピソードと、ユーモア溢れる解説を交えながら、美濃忠、高橋邸、閑所、鬼頭家、旧船源商店、沖正商店と巡り、堀川に差しかかりました。
堀川は、名古屋城築城の資材運搬と水運の利用を目的に開削された、名古屋の三大運河のひとつです。『名古屋の歴史を知るなら堀川を学べばよい』という伊藤さんのお言葉どおり、名古屋の歴史に堀川は欠かせません。かつて堀川沿いには、材木屋や商家の蔵が多く立ち並び、堀川から蔵へ直接物資を運び入れていました。その際使用された物揚場を、現在も確認できます。そんな堀川に架かる五条橋。こちらは清洲の五条川に架けられていた橋で、清洲越しの際にそのまま移設され、その後コンクリート製に架け替えられたものです。
五条橋を渡ると、第一日曜のイベント「ごえん市」で賑わう円頓寺商店街があり、その手前を少し入ると四間道(しけみち)です。四間道とは、元禄13年(1700年)の大火後、名古屋城下を含む商家の消失を防ぐため、豪商の屋敷と町屋の間を四間(一間=約1.8m)に拡張した道です。道沿いには豪商の蔵が防火壁の役割も合わせ持ちながら立ち並び、現在も美しい白壁の蔵が続く、風情ある通りとなっています。
その後、名古屋特有の屋根神様、子守り地蔵、浅間神社、中橋、美濃路と巡りました。
美濃路(大船通り)を進むといよいよ伊藤家へ。伊藤家16代ご当主の伊藤喜彦さんもガイドとして参加していただきました。この伊藤家住宅は、清洲越商人の伊藤家から享保7年(1722年)に分家した伊藤家の屋敷です。まず中央部分の本家が建てられ、北座敷(新座敷)、南座敷の順に増築されました。増築は倹約令解除後であったため、それまでの想いを詰め込んだ贅を尽くしたしつらえでありながら、『控えめな美しさ』を追求しています。
伊藤家に入るとまず目に入るのが、土間の吹き抜け空間。その圧倒的な開放感は本当に素晴らしいものです。続いてみせ、新座敷と案内は続き、新座敷ではお茶をいただきながら、ご当主伊藤さんにお話を伺いました。中学校の社会見学先が自宅だったこと、子どもの頃は釜戸の周りでかくれんぼをしたことなど、どのお話もお住まいになっているからこそのエピソードでした。また、参加者のみなさんからは積極的に質問や感想を発言いただき、伊藤家への関心の高さがうかがえました。
新座敷から望める中庭は、京都の松尾流2代目によるものです。当時、四間道界隈は人・物・情報が行き交う流通の場でした。伊藤家は商人たちが庭を眺めながら商売の話合いをし、お茶を嗜む文化サロンのような役割を果たしていたのではないでしょうか。
今回お茶をいただいたカップは、名古屋陶磁器会館よりご提供いただいたものです。カップと新座敷のテーブルには紅葉が描かれており、秋の訪れを感じながら、時代を超えて江戸時代のサロンを再現しているようなひと時となりました。
伊藤家は、江戸時代に築造された堀川沿いの表蔵、美濃路に面した本家、新座敷、南座敷、そして四間道沿いの蔵と、堀川の水運を利用して家業を営んだ商家の屋敷の特徴を今もなおとどめている、とても貴重な存在です。今回のオープンアーキテクチャー四家道・伊藤家住宅の企画が、伊藤家を始め、堀川や四間道の歴史や魅力を再認識し、継承していくきっかけになればと思います。
(オープンアーキテクチャー推進チーム員 藤田まや 学生ボランティア 兼松朋恵)