11月9日(金)、今回はいつもの愛知芸術文化センターから名古屋市美術館2階講堂に会場を移し、あいちトリエンナーレ2013の出品作家である青木野枝さん、青木淳さんのお二人をゲストとしてお迎えしました。テーマは「原っぱと鉄の浮遊する粒子」です。
この日は開場前から入り口に長蛇の列、席を逃すまいと足早に並んだ人々で異様な熱気を帯びていました。また年代も幅広く、特に若い世代の方が多く来場されたのが印象的でした。お二人の人気の高さを物語っています。
青木野枝さんは鉄を素材に様々なアプローチの作品を発表していることで有名な彫刻家。そして奇しくも同じ姓の青木淳さん(彼は自己紹介の際「私たちは兄弟でも夫婦でもないのですが...」と切り出し観客の笑いを誘っていました)は、名古屋栄のルイ・ヴィトンの建築を手がけたことでも知られる、愛知との関わりが深い建築家です。
まず、進行役の五十嵐太郎芸術監督からお二人の紹介があり、その後、それぞれの作品紹介と解説を順番に行いました。
まずは青木野枝さん。彼女の手がける巨大な作品を実際にご覧になった方は、どのような過程で作品が美術館の中にやってきたのか疑問に思った方も多いのではないでしょうか。現在豊田市美術館に展示されているおよそ8mほどの作品を例に、そのエピソードを語ってくれました。
まず最初にクレーンを搭載した専用のトラックを使い、購入した鉄板(総量実に4トン!)をアトリエに搬入。それらを円形に切って電気溶接によって結合、完成はさせずに6mと2mの2つに分けて美術館に運ぶ。この時完成させないのは現場のエレベーターの高さを考慮したためなのですが、いざ豊田市美術館に運んだところエレベーターの高さは5mまでしかなく、結局人手を借りて台車で何度も往復してようやく運び入れたそうです。
設置場所に運び、次はバラバラ状態の作品を溶接し、完全に固定されるまで業務用の棒で支える。頃合いを見てゆっくり慎重に外してようやく完成...と、大規模な作品は展示するまでの過程も実に大規模です。
野枝さんは子どもたちとのワークショップも積極的に行っていて、その数は通算20回以上に及びます。
何もかもコンピュータ中心になっている現代に嫌悪感を抱き、「一人でも何かを作れることの素晴らしさ」を伝えたいとの思いから、子どもたちに鉄を切って物を表現する方法を教えています。
「技術を教えるということは本来、その相手に自由を与えるもの」と彼女は語ります。確かにコンピュータは人々の生活や文化に素晴らしく多様な可能性を与えますが反面、そのツールを失えば何もできません。
一見「自由」なツールですが「それが無ければ何もできない」という不自由な依存体質を作り出しているのも事実です。拡大解釈になってしまいますが、野枝さんは現代のそういった負の側面に危機感を抱いているのではと感じました。
次に青木淳さん。過去の作品がいくつか紹介され、まずは代表的な名古屋栄のルイ・ヴィトンの建物に始まり、ニュータウンの中に建設した住宅、東京国立近代美術館にて行われた展覧会での出品作品...どれも空間や周りの環境に対して淳さん独自の視点が冴え渡る独創的なものでしたが、中でも青森県立美術館の設計についてのお話はひと際印象に残るものでした。
淳さんの発案により、青森県立美術館の外壁は白塗りのレンガで構築されています。特徴的なのは、レンガの角を45°にカットしたものを張合わせて作られているため、時間が経つと接着部分がひび割れてくる点です。
彼が意図してそうデザインした理由は、そこに来場した人々に落書きをしてもらったり、希望するアーティストたちに絵を描いてもらいたかったからだそうです。躊躇せず気軽に描いてもらえるように、敢えてルーズな作りになっています。
完璧に計算された、一見クールで人を寄せ付けないようなデザインではなく、一般的なデザインとそうでないデザイン(ひび割れたレンガの外壁のように、一見意図していないように見せるもの)の間。...この美術館で彼が試みたのはそうした完璧ではなく、飾らず、人々に寄り添うデザインなのだと言えます。
お二人のお話が終わり、五十嵐監督からの「美術館に作品を出展するとき、どのような考えで臨むのか」という質問を受けて、青木野枝さんはご自身の芸術家としてのポリシーを語ってくれました。
世の中には様々な趣の美術館があり、そのすべてが必ずしも自分の求める環境とは限らない。しかし、それらもすべてそこにあるものとして受け入れたい...そう語りました。
出展者である自分の視点だけでなく、他者の視点をも考慮しているところも印象的でした。「自分が気に入らないと思った物でも、それを設計した人にとっては必然性をもって存在しているはず。そういう広い観点で捉えるようにしている」。世間一般の安直な「アーティスト像」とは大きく異なる、大変謙虚な姿勢が感じ取れる言葉でした。
ちなみに、野枝さんは自身の経験上、建築家という人が苦手で一緒に仕事をするのに抵抗があったと言います。その中で青木淳さんは彼女の中で出来上がってしまった「建築家」の先入観とは異なる飾らない人柄で、さらには「そこにあるもので作る」という考え方が一致し共同制作を始められたそうです。
今回の講演を聞いていると、両者がタッグを組んで共に創作活動を始められたのはごく自然な成り行きのように思えてしまいます。
お二人にとってアートとは、自己を主張するためではなく環境をより良くするための一手段なのでしょう。
あくまで私見ですが、世の多くの芸術家が自己の空想や妄想といった内的なエネルギーを表現するのとは違い、お二人の創作活動の先には「環境」があり「人」がいて、いわば外向きのエネルギーが原動力になっているように感じます。
音楽というアートを志す自分にとって、お二人の創作に対する姿勢には深く考えさせられるものがありました。
開幕まで残り9ヶ月(11/9時点)となったあいちトリエンナーレ2013。青木野枝さん・青木淳さんのお二人の参加によって、この芸術祭という期間限定の環境はさらなる未知の可能性を開いてくれることでしょう。乞うご期待!
トリエンナーレスクールアシスタント 中森 信福