あいちトリエンナーレ2013 イベントレポート

トリエンナーレスクールリポート「ビエンナーレがリヴァプール市へ与えたインパクト」

2012/10/30 21:14トリエンナーレスクール

 10月6日(土)、愛知芸術文化センター12階アートスペースAにて、リヴァプール・ビエンナーレを創設し、その芸術監督を務めたルイス・ビッグスさんを迎え、「ビエンナーレがリヴァプール市に与えたインパクト」をテーマにお話いただきました。

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  まず初めに、ビッグスさんがリヴァプールに移った際の、都市の状況について話しました。
 リヴァプールはロンドンに次ぐイギリス第二の都市として、貿易が盛んで国際的な雰囲気が特徴でした。しかし、1960年以降の経済的な衰退によって、内向きで単一的な文化になりました。ビエンナーレの創設については、当時「なぜ、財政的に厳しいリヴァプールで行うのか」と聞かれることが多かったそうですが、ある芸術家との会話の中で「リヴァプールを住みやすく良い町にするために何かをしたい」と話したことがきっかけになったとのことです。アートは小さなものでも大きな影響を与える力を持っている。アートの力で、人々に外に目を向けてもらい、同時に自分の住んでいる都市に誇りを持ってほしい、というのがリヴァプールで行う目的と語りました。


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 リヴァプール・ビエンナーレを手がける以前は美術館の館長を務めていた経験から、「美術館」という制度の限界を挙げられました。例えば、「建物」の問題です。美術館は建物の経費に予算全体の半分が費やされ、人件費などを引いていくと、アートにかけられる予算は全体の一割しかありません。もし、アートに予算の全てを費やすことができれば、より大きな仕事ができるのではないか。また、人々に建物まで来てもらうよりも、自らアートを届ける方が自由な仕事ができる、とビッグスさんは語ります。

 これまで多くの芸術祭を手掛けてきましたが、失敗経験などから学ぶことも多かったそうです。例えば、「当初は全ての作品を見てほしいと思っていたが、人々に長距離を移動してもらって作品を見てもらうのは大変だった」と過去の企画を振り返りました。そこで、2010年のビエンナーレでは、世界中の最先端の作家の企画だけではなく、地元に密着した作家の企画など複数のプログラムを用意し、来場者が好きなプログラムを見に行けるような工夫をしました。また、お祭りとしての雰囲気を出すために、建物の外、特にストリートを活用することも重視しました。

 こうした取り組みの成果もあり、リヴァプールは2008年に欧州文化首都(EUにより指定された加盟国の都市が1年間にわたり各種の文化的行事を集中的に開催する事業)に選ばれました。評価の決め手は様々ですが、このビエンナーレによって、リヴァプールが「国際的な祭典」を開催できる都市と認められたことが大きな要因だったとのことです。
また、市民の意識も内向きから外向きに変化しました。人々の交流も盛んになり、議論や話題の内容も豊かになったそうです。このようにして、リヴァプール・ビエンナーレはアーティストの育成や芸術の振興だけでなく、市民の意識をも変えていくことができている、とビッグスさんは語ります。

 会場からの「芸術に対する関心は人によって異なるが、どのような層に向けてプロジェクトを組んだのか」という質問に対し、「まず、人々に対象をアートや芸術だと考えさせない方が好ましいと考え、人々がその場所に来ればすぐに反応できるようなプログラムを組んだ」と答え、できる限り広い層へのアプローチを目指したことを強く語りました。



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 ビッグスさんは、「あいちトリエンナーレ2013」のキュレーターも務めています。このスクールを始め様々な機会を通じて、私たちも「芸術」だけでなく、「あいち」という都市について考えることがきっと多くなることでしょう。
(トリエンナーレスクール アシスタント 牧野駿吾)

 このスクールの様子はユーストリームのアーカイブでご覧いただけます。
 http://www.ustream.tv/channel/aichitriennale-ch2

 次回は、11月9日(金)18:00から名古屋市美術館2階講堂にて、あいちトリエンナーレ2013の出品作家である、青木野枝さん、青木淳さんをゲストとしてお迎えし、「原っぱと鉄の浮遊する粒子」をテーマに実施します。ご期待ください。


キュレータートーク ~トリエンナーレスクール「釜山ビエンナーレ2010を経験して」を振り返る(その3)~

2012/10/23 14:00トリエンナーレスクール

【あいちトリエンナーレの今後の展開】
 東谷さん曰く、メイン会場としての美術館があり、加えて倉庫があったこと、そして屋外の海辺が同時に使えたことが構成を考える上で好都合だったとのことで、この点では、釜山ビエンナーレの展開とあいちトリエンナーレには共通点があります。
 公立美術館の機能と、市などの行政単位で行われる芸術祭の機能とが互いに補完し合う関係が必要だと思います。美術館の展示スペースと、もともと美術作品の展示を想定していないような場所があることで、現代アートの持つ多様な可能性を展開しやすくなります。その一方で、その地域の美術を中心にして、いわば求心的に知識を蓄積している美術館の学芸員と、美術館に属することなく国内外のさまざまな場所とメディアで活動する芸術監督のような外部のキュレーターとの間に交流が生まれ、アイディアの交換が行われます。
 先に述べましたように、芸術監督を置くことで芸術祭の形は毎回異なります。一方で形を変えながら存続し続ける、という一見矛盾するような課題を芸術祭は持っています。この課題をこなしていくには、怖がらずに外部の力を受け入れていく寛容さと、その新しい外部の力を生かしきるその能力が、美術館のような既存の施設や都市、そして人に試されていきます。結果、変化することを恐れず、困難にぶち当たりながらも、柔軟に受け止めていく経験を繰り返していくうちに、その都市はしたたかなものとなり、確実にバージョンアップすることができるように思います。ビエンナーレの存亡の危機すらあった、イタリアのヴェネツィアしかり、ドイツのカッセルしかり、そしてフランスのリヨンしかり。ヴェネツィアも、カッセルも、芸術祭の観客動員数は増え続けています。

なお、講師でご登壇いただいた東谷隆司さんは、2012年10月16日にご逝去されました。謹んでここにお悔やみ申し上げます。