【青木涼子 インタビュー】能と現代音楽がコラボ!?鬼婆の物語をひとりで

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能と現代音楽を融合した取り組み行い、世界各地の音楽祭に招待されている能アーティスト・青木涼子。能という舞と謡(うたい)で構成される日本の芸能を、伝統に縛られることなく新しいものに昇華してきた。
あいちトリエンナーレ2016の最終日である10月23日(日)に上演される「秘密の閨(ねや)」について、開幕前に聞いたインタビューから、彼女のアーティストとしての姿勢、そして作品について知ることができる。

――まず前提としてお聞きしたいのですが、青木さんは能と現代音楽のコラボレーションということで活動してこられたということですが、なぜそれを組み合わせようと考えたのでしょうか?
私がやっているのは、能の中の謡(うたい)というもの。謡とは歌のようなものなので、そのために曲を作曲家に書いてもらうというところから始まっています。もともと何か新しい芸術をやりたいとは思っていたのですが、日本人なので日本の伝統のものをやりたいと。ですが日本では、古典は古典のままで、古典の技術を持った人が新しいものをつくるという現状がないと感じたのです。それが私には歯がゆくて。アニメーションなどは日本の新しいクリエイターとして世界的に認知されていますが、そうじゃなくて伝統的なものが良いなと。その中のひとつとして能がありました。

でも、舞がやりたくて能の教室に通い始めたら、実際には謡の方が大事なことがとても多くて。能面かけて舞っている姿を皆さんイメージされると思うのですが、それだけじゃ伝わらないのが能です。お囃子や謡がバックにあって、頭の中で想像しながら見るものなのです。舞台には何もないけど、今は海の上で怪物がいて、というのを自分で想像していかないと成り立たない。そのためには謡が重要で、日本舞踊のように舞だけでは成立しないのです。

――そこから“謡”でのコラボレーション、ということに繋がるのですね。
これまで能がコラボレーションするとなると、能面をつけて新しい物語の中でやることが多かったんです。だけど本来の能は謡と舞がセットになった歌舞劇なので、すごく片手落ちに感じてしまって。実は“謡う”ところがすごく重要なのに、そこを新しくしたものはなかなか見つからない。ですので、音楽部分に注目したクリエーションをやってみたいと思いました。

一方、現代音楽の方面から見ると、あらゆるジャンルの新しい楽曲が生まれています。例えば、武満徹さんの「ノヴェンバー・ステップス」では琵琶や尺八が使われていて、他にも声明を使ったものもある。なのになぜ能だけないのだろうと思い、実験的に始めたわけです。特に能と現代音楽を掛け合わせたというよりも、現代音楽の作曲家に新しい曲を作ってもらって、それを私が謡う。能の技術を持った人が新しい曲に挑戦しているというような形を取りました。

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『秘密の閨』試演 2012 Courtesy of the artist

――それでは今回上演する「秘密の閨(ねや)」について聞かせてください。こちらの作品は、以前にパリで試演されたということですが。
2012年のパリでのものは試演でしたので、今回が世界初演になります。曲やアンサンブルの編成は変わらないのですが、今回は衣裳をつけたり舞台美術をつけたりした完成バージョンです。ただビジュアル的には、あまりゴテゴテしたくはなくて。出来るだけ能の感性が引き継がれる形にしたいと思っています。

――フランス人のオレリアン・デュモンさんが作曲されるということですが、どのように制作していったのでしょうか?
この作品は、能の「安達原(黒塚)」という鬼婆の話が元になっています。山伏が宿を求めてきて、普通の人の家だと思ったら実は鬼婆の家で。夜中に見てはいけないと言われていた閨(ねや)を見たら、人の死体がいっぱい。逃げ出したら、鬼婆の姿になって追いかけてくるんです。それを山伏が祈って退散させる、という話です。オレリアン・デュモンは、その前段階の、どうして女の人が鬼婆になってしまったのかという話でオペラを作りたいとのことで、その方向性で話を進めました。

能の「安達原」には元となる伝説があり、そちらには鬼婆になった理由なども伝承されています。能狂言の専門家で新作も書かれる小田幸子さんという方が、その話を台本として作り直したものになります。物語がこうなってこうなってと辿るのではなく、例えば屏風1枚で情景を描写して、それがシャッフルしていくことで場面が変わる。私も、山伏にもなるし、若い女も演じるし、鬼婆も演じるというようにやっていくつもりです。一応物語はありますが、断片みたいに抜き出したように上演します。

面白いなって思ったのは、作曲家が「おん・女・鬼」という音をポイントとしているところ。「おん」とは、“音”という字も当てられますし、“隠れる”という字も当てられる。“おん”なの中に鬼が“隠”れているかもしれない。そういう音の関連性にとても注目しているんです。台本を書いて頂いた小田さんが仰るには、女の人は鬼になる可能性があるのではないか。さらには鬼が人を食べるというところから、古くから女の人は男の人を食べてきたのかもしれない。それは男に依存してきたとか、いろんな意味で。いろんな見方が出来るということを考えて作ったとのことです。私はそこまでは考えて演じていませんが(笑)。そういうことも感じてもらえると面白いかもしれませんね。

――ステージには青木さんと演奏者の方のみなのですよね。
はい、演奏者が5人と指揮者がいて私ひとりが演じる、モノオペラの形になります。また、エレクトロニクスの音楽も入ります。ただ、音が大きく鳴っているというわけではなく、私の声の囁きや声の表情みたいなものが音楽と絡んで、最終的に壮大な形になっていくイメージです。考えてもみなかったところに注目してくれているので、作曲家は私の声をこういう風に使いたいのだなと思うと面白いです。

――今回は、現代アートのフェスティバルという、おそらく普段の舞台の観客とは違った客層の方も多いと思います。
アートに興味があるお客さんに来てもらえるのは嬉しいです。日本はオペラでもクラシックバレエでも固定したファンを持っていますが、アートって幅広くて、どれにも当てはまらない感じがしていて。そういうお客さんは新しいことにもチャレンジしたいって思っているのではないでしょうか。今まで一度も現代音楽を聴いたことがない人が、観て聴く場所がある。そういう場って必要なのではないでしょうか。あいちトリエンナーレで上演することで、現代音楽も能も触れたことがない人が聴いて、「意外に面白いじゃん」と思ってくれるといいなと思っています。

TEXT:小坂井友美

 

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