フラメンコの“今”とは!?革命児が対極する2作品を上演!

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世界各国の舞台芸術が上演されるパフォーミングアーツで、2つのフラメンコ作品を披露するイスラエル・ガルバン。彼の来日記者会見と「SOLO」公演をレポートする。

イスラエル・ガルバンは、スペイン出身のフラメンコダンサー。有名な舞踊家である両親のもとでフラメンコに触れてきた彼は、若い頃から正統派フラメンコ舞踊家として世界に名を広める。1998年には自らのフラメンコの表現をより深く追求するために、自身のカンパニーを創設。伝統的なフラメンコの枠にとらわれない斬新な作品で注目を集め、フラメンコの新たな可能性を追求している。また他のフラメンコダンサーや他ジャンルのアーティストと共同で創作を行うのも特徴。世界もその才能を評価しており、フランスの芸術文化勲章やスペイン文部省のプレミオ・ナシオナル・デ・ダンサなど、数々の受賞歴をもっている。

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今回、彼が上演するのは、いずれも日本初演となる「SOLO」と「FLA.CO.MEN」。10月7日(金)~9日(土)で上演された「SOLO」は2007年に初演された代表作だ。本来フラメンコは踊り、歌、音楽の三要素が合わさって上演されるが、「SOLO」ではすべての役割をガルバン一人で表現する。しかも完璧な無音の中、照明も変わることがないという。上演中、ガルバンは自身の体を叩いたり、ステップを踏むことで音楽を作りだし、45分間踊り続ける。彼は記者会見でこのように語ってくれた。

「『SOLO』は非常に画期的なフラメンコ作品です。タイトル通り、出演者はわたし一人。フラメンコの可能性をシンプルに追求したことによって、全く新しいフラメンコの表現に辿り着きました。音楽はありませんので、自分の体をパーカッションのように叩いてリズムを刻みます。すると私の頭の中でイメージがどんどん膨らんでいき、踊りが生まれます。そのイメージを踊りに変換することで、私は様々な世界に行くことができるのです」

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「SOLO」は観客との関係性も非常に大事な要素だという。
「通常の公演と比べて観に来てくださる方との関係性も変わっておりまして、音楽も照明もないことから観客はまるでリハーサルを観ているような感覚になります。すると、観客とより親密な関係性を築くことができると感じています」

一方、10月15日(土)、16日(日)に上演される「FLA.CO.MEN」は、6人のミュージシャンとの化学反応によって踊る最新作だ。こちらは「SOLO」とは違い、音楽や照明、映像など、様々な演出が施される。6人の音楽家は個性の強いアーティストを選んでいるそうで、彼らの奏でる音によってガルバンの踊りも変わっていくという。

「ミュージシャンは自分の世界を確立している人を選びました。彼らは私の踊りのために演奏するわけではなく、それぞれのスタイルでフラメンコを解釈して演奏してくれます。6人が鳴らすひとつひとつの音によって、私の身体と踊りはどんどん変化していくのです」

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最後に日本の観客へメッセージを届けてくれた。

「私は自分のスタイルとコンセプトをもってフラメンコを踊ってきました。ですのでフラメンコフェスティバルでは、“あなたの踊りはフラメンコではない”と言われることもあります。そしてトリエンナーレのような他ジャンルのフェスティバルでは、“フラメンコにルーツがある自由な踊り”と言われます。観客の皆さんもイマジネーションを働かせて、私の踊りを自由に感じてみてください」

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フラメンコの新たな可能性を形にしたイスラエル・ガルバンの作品を、ぜひ会場で体験してほしい。

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ここからは代表作「SOLO」公演の模様をレポート!

ここからは彼の名を世界に広めた代表作「SOLO」公演の模様をレポートする。前述したように「SOLO」は、フラメンコを構成する三大要素の踊り、歌、音楽をたった一人で表現する作品。極限に研ぎ澄まされたフラメンコを体験できるストイックな公演を予想していたが、そうした側面と客イジりなどのユーモアが混在した驚きの公演となった。

会場はあいちトリエンナーレの舞台になっている愛知県芸術劇場の小ホール。ここは各公演に合わせた空間を作れる会場だ。小ホールの中に入ると真っ黒のステージを囲むように客席が配置されており、ほぼ全方位から観客の視線を浴びるステージとなっていた。開演を告げるブザーが鳴ると、ガルバンが飄々とステージに姿をあらわす。と、ここである事に気づく。暗転しないどころか、開場時と同じ照明のまま公演がはじまったのだ。その中で両手を広げたり、足でリズムを刻んだりゆったりした動作をするガルバン。それはまるで本番前の準備運動をしているようだ。その時に彼が記者会見で言っていた「リハーサルを観ているような感覚になる」という言葉がフラッシュバックし、こういう意味だったのかと気づいた。

始めはゆったりとした動作もステージを縦横無尽に動き回ってスピンをしたり、体を叩いてパーカッションのような音をだすなど、様々な動きが加わり激しくなっていく。時に美しく、時に情熱的なアクションを固唾を呑んで見守っていると、まるでガルバンと1対1で会話をしているような気分になった。観客の咳払いや姿勢を変える音すら聞こえる環境も相まって、気づくともの凄い集中力で彼の一挙手一投足を追っていた。

すると、踊りながらメロディーのようなものを口ずさみはじめたのだ。ステップや体を叩くことで生まれる音に発声も加わったことで、ダンスがどんどんリズミカルになっていく。そんなガルバンの激しい踊りに感化されたのだろうか。フラメンコの情熱的な音楽が頭の中で鳴っている事に気づいて驚いた。ガルバンは「SOLO」公演のことを「精神的な旅のようなものです。様々なイメージが来ては去っていきます」と言っていたが、彼の踊りによって観客にも様々なイメージが生まれているのかもしれない。

情熱的なイメージが去って一段落すると、「スイマセン」と声を発してなんと客席に降りて踊りはじめた。観客との距離が僅か1メートルの中でステップを刻む姿は、一心不乱に踊る姿とは違いフレンドリーな印象さえ受ける。すると観客とハイタッチをしたり、戯けて転んだふりをしたりすると、会場から自然に笑い声が起きているではないか。ガルバンと観客のコミュニケーションが起きたことによって、緊張感のある雰囲気から瞬時に和やかな空気が生まれていた。その後もコミカルな動きで観客とのコミュニケーションをとったかと思えば、ステージ上でストイックな踊りをみせるなど、自由自在な表現で観客を惹きつけたガルバン。最後はステージ上で踊りながら服をはだけさせ、「ドウモアリガト」と笑顔で告げて唐突に終わりを迎えると、会場はスタンディングオベーションとなる。ガルバンがステージを降りても鳴り止むことのなかった拍手は、「SOLO」公演を通じて両者が親密な関係性になったことを証明していた。

TEXT:菊池嘉人 PHOTO:羽鳥直志

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