【公式ガイドスタッフによる裏ガイド 】 ⑥クリス・ワトソンをいかに聴くか

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愛知県美術館。大巻伸嗣の作品インパクトに驚きつつ再び靴を履くと、右手に次の作品を展示する部屋が見える。黒カーテンをくぐった先では風や水の音が鳴り、置かれているのはスピーカーとソファのみ。「あれ?作品がない」。そう判断して、すぐに部屋を出てしまう鑑賞者もいたのが妙に印象に残った。

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クリス・ワトソンの作品は、サウンドインスタレーションと呼ばれている。サウンドインスタレーションとは“音響などを用いて空間を構成する” こと、らしい。だから部屋には何もない。音響によって想像力を刺激し、鑑賞者のアタマのなかだけに “空間を構成”させるわけだ。流れているのはイギリスのシェフィールドから愛知県の鳳来山まで、最短距離上の9ヵ所で録音された音たちだ。真っ暗なスペースで目を閉じ耳をすますと、さまざまな光景が本当に頭のなかに広がってくる、気がする。42分世界半周、なかなか不思議な体験だ。

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クリス・ワトソンに着目したきっかけは、とある音楽関係者からの問い合わせだった。「キャバレー・ヴォルテールの人の作品は、どこでやってますか?」。チューリッヒにおけるダダイズムの拠点であったキャバレーから命名したのであろうその音楽グループは、主に70〜80年代のイギリス音楽シーンで活動。クリス・ワトソンは81年まで在籍していた。インダストリアルな音色を特徴にしつつ、彼が脱退して以降はエレクトロなダンスミュージックへと傾倒していった。ジョイ・ディヴィジョンやデペッシュ・モード、ドイツのテクノシーンなどとの文脈も感じるバンドで、ニューウェーヴリバイバル的な手法が定着した現代では新鮮な感覚で聴くことができる。ロックやポップスから環境音楽へ移行していく例は彼以外にも多々あり、そもそもアンビエント・ミュージック(環境音楽)界の先駆者として知られるブライアン・イーノは、ロキシー・ミュージックというロックバンドに在籍していた。ブライアン・イーノと同じく、Windows OSの起動音も制作したロバート・フリップはキング・クリムゾンのリーダーだ。メロディや歌詞でなく、ひとつひとつの音のディテールに着目していくと「音そのものをいかに録り、いかに再現するか」、発想はそうした方向性へと向かっていくのだろうか。

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個人的な体験で恐縮だが、実はテレビゲームをプレイしている時にも、彼の作品と同じ感覚に陥ることがある。近年のゲーム作品のリアリティは言わずもがなだが、その功労者として語られるのは多くの場合、実写と見間違うほどに進化したグラフィックスだ。だが臨場感という点では、実は音響効果がもたらす効果の方が大きいのではないだろうか。土と石とで変化する足音、ドアが開く際の木が軋む音、身を切るような風切り音、人のざわめき……、丁寧に作られた効果音に囲まれると、自分がその場にいるかのように錯覚する時がある。一音一音、癖になる響きを持つ環境音も多い。クリス・ワトソンはアンビソニックマイクという機器を使い、環境音を三次元に録音しているそうだ。制作動機こそ違え、今ここにない空間を再現するための音質、という部分で共通している要素は多い。そして両者を体験し思うのは、まるでそこにいる感覚を作りあげる点では、実は目で観る情報よりも耳で聴く情報の方が強いのではないか、ということだ。

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クリス・ワトソンの作品では、シェフィールドから愛知県までの旅路を聴覚で体験することができる。部屋を出た先には撮影地の写真もあるが、視覚や知識で得られることと、聴覚で得らえることの違いに驚かされる。立体的に再現された音のなかでは、気温や空気の匂いすらリアルに連想されてしまう時があるが、それは写真や文字情報からは生まれにくい感覚だ。
42分間の音の旅が終わりを迎えようとした時、ふと思ったことがある。公表されている場所と、実は全く違うところで録音されている可能性があってもおかしくない、と。もしそうだった時、そしてそれを知った時、感じていた気温や空気の匂いは変化するのだろうか。「あれ?作品がない」は、実は自分の経験が催す想像力をものすごく弄ばれていることなのでは。意外とシンプルだったクリス・ワトソンの録音機材を眺めながら、その人となりも想像してみたのだった。

TEXT:阿部慎一郎

 

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