子ども向けに創作した作品を上演ダニ・リマ インタビュー

01_DaniLIMA

あいちトリエンナーレ2016には、リオデジャネイロを拠点に活動するダンサー&振付家のダニ・リマが初来日公演を行う。
遊びのなかから、何気ない仕草や言葉を再発見していくという、大人と子供が一緒に楽しめる作品とは?
そもそもダニ・リマとはどういう人物なのか。そんなことを探るメールインタビューをどうぞ。

DaniLima1

――先鋭的なサーカス集団から、ダンスカンパニーを結成された経緯を教えて下さい。
私は、9歳の時にダンスを始めました。クラシックバレエから始めて、その後コンテンポラリーダンス、コンタクト・インプロビゼーションなど。その後、現代サーカス時代でも、13年間在籍したイントレピッド団などを含めて、いつもサーカスにダンスや演劇の言語を使いました。97年に自分のカンパニーを創設したと同時に振り付けの理解を深める必要性を感じました。スキルとトリックの習得に焦点を置いたサーカス界の英雄的な体から自由になりたいという気持ちともに、もっと人間性、脆弱性を追求して、それから徐々にサーカスの技術から離れて 、自身のテーマである日常的な身体の詩学“everyday life body poetics”の開発に取りかかりました。
現代サーカス以前の、世代から世代へと受け継がれて来た伝統サーカスの技術や知識は、国立サーカス学校の創設によって80年代半ばで一般的に普及し始めました。 1986年に設立されたイントレピッド団は、ブラジルで最初の現代サーカスのひとつでした。ダンスや演劇の若手アーティストによって形成されたイントレピッド団は、彼らの自己表現を拡張する環境を発見しました。それ以来、ブラジルでは現代サーカス団は増える一方で、ほとんどの場合、サーカスの技術と、演劇、音楽、ダンスの言語をミックスし、サーカスのテントの外、ストリート、劇場などでパフオーマンスしている現状です。

DaniLima2

――作品を創作されるときのアプローチ方法について、ジャーナリズムへの関心はどのように関係していますか?
私のジャーナリズムへの関心は 調査、ドキュメンタリーの部分などであり、何かを深く追求する好奇心は、今でも私の研究を支えています。通常私が何かを創作するときには、何らかの疑問から開始します。作品は、その疑問に正確に答えを求めた研究、調査の過程です。疑問の答えを求めると言うよりも、私はその疑問を、研究を追求するモチベーションにします。私が苦悩するテーマ、疑問を研究する環境を作品にします。アーキビストという手順は、私の仕事のための重要な戦略となっています。全体の中からリストやコレクションを作り、物事の場所と意味、そしてその関係を模索する方法をドラマツルギーにします。

私が稽古場に入る時は、普段何か始めるための疑問を持っています。それでダンサーとのやりとりでその疑問はタスクに変わり、リハーサルを始めた時より展開し、または拡大し、動き、ジェスチャーや言葉を使ってintersemiotic(異記号体系間)なゲームを通して感覚と認知体験を生成します。私の仕事は現在、問題視されている体の発見、認知、ジェスチャー、記憶に焦点を当てて、自己性と他者性の関係を研究するところにあります。

――上演作品について、もともと大人のための作品だったところを子ども向けに改編したとお聞きしましたがどのように変更したのでしょうか?そもそもこの作品の創作で目指したものはどういうものだったのでしょうか?
アーティストとして私は、10年前からアーキビスティックなドラマツルギーという、コレクションの詩的なパワーに賭けて私の作品を作っています。私はリストが世界観をごちゃ混ぜてくれと信じています。一見遠く見える二つの何かの間に新しい関係を述べ入れ、全く新しい関係を生んで、世間から常識として受け入れられているものについて疑問をもたらせてくれます。2009年の作品 “little inventory of commonplaces”は、ジェスチャー、オブジェクトや日常生活の平凡な動作をコレクションするものでした。オブジェクトのコレクションを作成し、それらに新しい見方を与えるという操作は、子供たち通じると思いました 。したがって、“little collection of everything”を生みました。子供のためのこの新しいバージョンでは、4人のダンサーが日常的な物事から詩的なリストを作成し、動き、言葉やオブジェクトを使って楽しい、そしてエネルギッシュな遊びに賭けています。幼少期の世界の見解を覆す解放感を思い出させてくれます。

DaniLima4

――プロフィールにある”everyday life body poetics” とは何ですか?
私のすべての創作のベースとして繋がるコンセプトのようなものです。これは、私が日常的な、普遍的な世界に特別な好奇心があることを意味します。また、シンプルに隠された詩的な世界を明らかにしたいという願いからそう呼んでいます。 “小さな思い出”という詩的な見解があるフランスのビジュアルアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキー、ブラジルのミュージシャン、アルナルド・アントニス、などのアーティストが私に強く影響します。その中で日本の映画監督、小津 安二郎ですね。2009にこの作品の大人バージョンを作っていた頃に小津先生の沢山の作品を観ました。または、“everyday life body poetics”は、ナルシストではないパフォーマンスの意、近いからだ、人間の心の脆弱性に関心があって強調するコンセプトです。

――沢山の書籍や論文も執筆されていますが、それらは舞台作品とどのような関係にありますか?
理論的研究は、常に私の創造に影響をもたらしました。それは、相互に概念と体、どうすれば、それらを通じ合わせるかの研究ができるからです。概念を体で例えるということではなく、体でそれらのアイディアをどうやって明らかにすることができるかが重要です。振付家だけではなく、大学の教師をしたり、または、WSを開いたりしていますが、それらの経験は私自身の仕事についてのスピーチを考えるのに役立ちました。

――ブラジルのコンテンポラリーなダンス界の現状について教えて下さい。
90年代にブラジルでコンテンポラリーダンスのブームがありました。数十というカンパニーの数々がブラジルのメインな首都で増え続けていました。リオ・デ・ジャネイロでは、地方、州の良好な文化政策に起因しその後、特に増える傾向にありました。Lia Rodrigues Dance campany, Marcia Milhazes Contemporary Dance, João Saldanha Atelier of Choreography, Cia Dani Lima, Dance Campany Deborah Colker、他多数のカンパニーが出現しました。ブラジル全体で数多くの大学でダンスコースが開き始め、多くの研究者とのダンス教師が育ち、それらが、コンテンポラリーダンス界の風景や社会に大きな影響しました。90年代と21世紀始めに、多くのダンスフェスティバルが開催されました。しかし、ブラジルのコンテンポラリーダンスは、伝統を持っていないだけに、国の補助金なしで作品を観に来てくださる観客だけでカンパニーを維持するのは非常に困難です。それは、ダンスの状況を弱める結果となりました。それは、その時に国を治める政治家の善意が必要とするためです。ブラジルの近年の不景気のため、新しい若いダンサーのカンパニーは少なくなり、古株のカンパニーや振付家は、欧米に仕事に出向く機会が多くなりました。

DaniLima3

(C)Renato Mangolin

 

サイドナビ