待望の新作『変魚路』を初上映高嶺剛氏 インタビュー

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70年代から映画を撮りはじめ、全編ウチナーグチ(沖縄語)と日本語字幕という形の作品を発表してきた高嶺剛。長編映画としては、1999年の『夢幻琉球・つるヘンリー』以来となる、待望の新作『変魚路』を完成させ、あいちトリエンナーレで初めて上映されます。監督が拠点を置く初夏の京都で話を聞きました。

――『変魚路』の撮影は、随分前から公にされていましたね。
風景撮りから一生懸命やったので、今回は、どこから映画の立ち上げなのかという区別がつかないので、はっきりわからないんですよ。『変魚路』というタイトルもどこからきたのか…。でも、なにかを始める場合は、仮にでも名前をつけないといけないから。きっと変な映画だと思われるので、先にタイトルで変わった映画だってことを言い訳したのかもしれない。まあ、これはジョークですけど(笑)。

――いわゆる劇映画ばかりを見てきた人からすれば、「変な映画」という感想になるのかもしれません。
『変魚路』は劇映画です。そのようなことに、僕は、とても気を使っているつもりですが、見る人は好きなように見ればいい訳ですから、作る側の思い通りにはいかない。もちろん、それは仕方のないことで、僕も人の映画を観るときは自分勝手に観させてもらいますから。

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――今回の撮影は、どのように進みましたか。
最初からシナリオが具体的に決まっていて、すべての役者がキャスティングされた状態で、それを予定調和的にやっつけていくようなやり方ではなかったとは言えます。ある程度の枠内で、互いの反応を見ながらやっていくセッションのような形って、音楽のライブではわりと普通ですよね。映画だって共同作業なんだから、僕の小さな答えでまとめるようなことはあまりしたくない。つまりそれは、出演者やスタッフ、ロケ場所のこと、シナリオなど、映画に関わる様々な事柄において臨機応変に対応していくということになります。実際、それが可能な現場だったと思います。

――大城美佐子さん、川満勝弘さんら、監督の映画作品の常連でもある、沖縄ミュージシャンたちの力も大きいでしょうか。
もちろんです。僕は沖縄の芸能、ロック、民謡、島唄や芝居だったりという、必ずしも映画専門の俳優ではない方々と、これまで組んできたわけですけど、映画は見えるものしか写せないだろうが、身に秘められた底力というか風格みたいなものが、にじみ出てきます。それは、僕の演出の領域だけでは絶対に醸し出すことができない、沖縄の空気そのものを感じさせる偉大な存在……。平良進さん、北村三郎さん、大城美佐子さん、かっちゃん、かれらといっしょに仕事ができたことが、すごくうれしい。

――だからこそ、監督はいまも沖縄で撮影を続けているとも言えますか。
そうですね、これは沖縄に限らないでしょうが、映画制作において僕の意図や演出を超えていくような存在感と出会うことは、映画を豊かにしてくれので、うれしいです。

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「変魚路」撮影風景

――実際、画面に映る人達の印象がそれぞれとても強くて、誰が主人公なのかわからなくなります。
これは、僕の一貫性のなさが原因かもしれないけど、各シーンを、ちょっとした独立したものとしてみなして撮るんですね。すると、それぞれシーンごとに主人公らしきものが現れてきます。80分の映画の中で、このあたりに話しのピークをもってきてとか、主人公への感情移入を「ぐぐっ」とだとか、こっそりと後々のための布石で、ということを僕はあまりしません。オムニバスとも違う。ひとつのシーンは、次のシーンへつなぐためにあるというよりも、これぞという現象をどんどん転がしていって、それを修正しながら、物語を再構築していくというやり方の映画だったのでしょう。

――ちらりと写真家の石川竜一さんも登場されていました。
石川さんは3役でした。刺激的な人が来てくれると、うれしい。彼はスタッフの紹介で、撮影現場で初めてお会いしました。沖縄芸能の方々は、見せる、見られる、ということの何たるかを、よくご存知です。たしかに映画の役を演じてはいるのだが、沖縄人なんだなぁ。カメラの前で普通っぽく沖縄の人であることって、なかなか難しいことだから。

――学生時代、劇映画というよりも美術の側に身を置いて制作を始めたということも、高嶺監督のそういった作りかたに影響しているでしょうか。
そうですね。僕はアンディ・ウォーホルやジョナス・メカスから映画に入りました。商業的な劇映画の制度を勉強していませんので、よく知りません。束縛されなくてもいいかな、という感じは、いまもってあります。「主」と「脇」を配置して、主人公の気持ちに沿って見せていくというやり方に、あまりとらわれない。観客を強く想定して映画をつくることは、想像を絶する作業を克服しなければならない。私はその方向を選ばなかった。学生のころ、ジャクソン・ポロックのドロッピング(顔料を飛散させて描く手法)が面白いと思っていたで、その影響もあるのだろう。

――劇中には「整形映画研究所」という場所も出てきます。あれも監督の学生時代の体験に基づくような……。
いやいや、あれはまったくのでっちあげ。顔面整形と映画の修正を兼ねた場所があってもいいんじゃないかと思ってね。あの「パパジョー映画整形研究所」の場面で破損したフィルムが映りますけど、あれは撮影中に、研究所の押し入れを掃除していたら、たまたま出てきたものです。沖縄のむせかえるような暑さと湿気の中で45年間保存されていたフィルムは、色あせて壊れていく訳で、偶然見つけたその破損フィルムも、さっそく映画に取り込みました。あらかじめ僕のなんらかの心情があってい、その気持ちを破損フィルムに託するというより、まず、破損フィルムの映像をしみじみと見てみて、それがどうなのかと。8ミリ映画の男—–真昼間、コザ(現沖縄市)のキャバレー前で座り、「拳を握った」米兵らしきその男は、破損フィルム映像の中では、いつしか消えていった。あの後べトナム戦争に行ったはずだが……。

――監督の1973年のデビュー作『サシングヮー』のフィルム断片も使われていましたね。
あれは、僕の家族の記念写真に着色した作品でしてけど、写真展をした際の断片がまだ残っていたので使いました。とても私的な写真かもしれないけど、記念写真というのはどこかでイメージを共有できるものでもあると思うんです。だから、写っている少年は誰なのか想像させますが、シンプルな記念写真に理屈は要らない。『変魚路』は沖縄で撮られた沖縄の映画です。この記念写真の子供も沖縄の子。

――お話を伺っていると、現場で映画がどんどん育っていくような様子が思い浮かびます。
自分の考えている芯の部分はあまり変わっていないと思っているんだけどね。ただ、はたしてそれが自分の不動の芯なのかは分からない。自分のオリジナルだと思っていても、意外にどこかからの影響だったりして、自分らしさというのはなかなか自覚が難しい。

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「変魚路」撮影風景

――監督が沖縄を舞台に映画制作をはじめてから約40年、沖縄の状況もどんどん変わっています。
僕はいまの沖縄というよりも、沖縄が本土復帰する1972年より前の時代に、映画の時間を設定してしまうところがあって、その頃、僕は二十歳前後で自分の人生に大きな影響があったと思っているし、そこに自分がいちばんリアリティを感じるというのかな。決してその時代がよかったということじゃなくてね。それでも、僕の映画にいまの世相みたいなものが反映していることもあるでしょう。ただ、自分としてはそこにあまり興味はないね。

――今回の映画『変魚路』についていえば、時代設定がいつなのかはそこまで明確でないと感じました。
そこらへんは適当ですよ。僕は沖縄の風景のなかでも、充分に整理されていない路地や灰色のブロック塀などに、どうしても愛着を感じる。それらは、かつての僕の等身大の風景なんでしょう。いまとなっては、ひたすら変化していく風景に僕は背伸びしないと、ついていけないことが多いので困ってしまう。

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「変魚路」撮影風景

――路地、用水路、暗渠、ブロック塀…といった今回の映画で見られた風景も、実はいまの沖縄では撮るのは容易ではないでしょうか。
まだ探せばありますけどね。これはまた別の角度からの話にもなるけど、そのことがまた面白かったりもするんです。僕が共感できないからって、映画のためにいらないものをどんどん排除して、整理していくのではなくて、風景の中に映画を持ちこむことで、映画を触発する様々なことが出てきたりする。つまり、風景の中にあって、決して映画は特権化されないというのかな。

――そうやって映画が、物語が動いていくことがあるということですね。
あるでしょうね。まあ、「おこがましい」という言い方が逆説的になりますけど、僕は沖縄代表ではないし、沖縄を背負う必要もありません。

――沖縄を代弁するつもりは決してないけれども、かといって軽んじられるものでもありえないということ。
そうですよ。今回私の場合、「沖縄の現実から絞り出す」いう枠を決めて、自分の中のふたしかなとらえどころのない領域の気持ちを含めた、個人によって発想された映画を目指しました。もちろん沖縄から圧倒的な影響を受けていますが、映画の現象と沖縄のそれは必ずしも、一致はしないはずです。映画は沖縄の移し替えではなく、それとして独立したものです。したたかな沖縄テキストの映画を作りたいとの意欲にかられます。日本の中の沖縄のポジションというのは小さいかも知れませんが、ないがしろにされる筋合いはないし、全体と部分を主従関係でとらえることには、どうしてもためらう。沖縄にしばられることは窮屈なことですが……。沖縄超個人映画とでもいいますか、いずれそのような映画に挑みたい。

『変魚路』
2016年/82分/カラー/沖縄語、日本語
監督:高嶺剛
主演:平良進 北村三郎

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INTERVIEW:竹内厚  PHOTO:河上良(撮影風景写真を除く)

 

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