港 千尋 芸術監督 インタビュー【その①】虹のキャラヴァンサライについて

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あいちトリエンナーレの芸術監督を務める港 千尋。イベントの見どころをはじめ、テーマ、地域なども迫るインタビューを、3回に分けてご紹介します。

その①「虹のキャラヴァンサライ」

――まずはこれまでのあいちトリエンナーレの印象について聞かせてください。

前回もその前も、テーマとコンセプトがしっかりしていました。芸術祭の全部が全部、そういった明快なテーマとコンセプトを持っているわけではないんですが、あいちトリエンナーレはかなり強くテーマ性を打ち出している。そこには一番時間がかかりましたね。特に今回は3回目、雑誌で言えば3号目、屋号でも3代目はその後を占うってよく言われますし、ターニングポイントになるわけで。プレッシャーはありました。

――芸術監督として関わる以前は、愛知県にどんなイメージを抱いていましたか?
昔の話ですが、実は僕の祖母が名古屋出身で。小さい頃に、戦前の名古屋の話をよく聞かされていました。それと、おみおつけの味ね(笑)。僕は生まれも藤沢でずっと関東で育っていますけど、おみおつけの味だけはやっぱり赤だしだったんです。それはたぶん、おばあちゃんの影響だと思うんですよね。

――今回は“旅” という、芸術祭としてはとても個性的なテーマになりました。
オリジナリティにこだわろうっていう意識はなかったですね。あまり独りよがりにならず、かつ、あいちトリエンナーレ全体の性格にフィットするように意識しました。

――あいちトリエンナーレの性格について、もう少し詳しくうかがえますか?
3つあります。近年、国内では芸術祭が増えていますが、よく都市型と地域型、あるいは里山型と分類されます。あいちトリエンナーレは都市型でしかも広域、これが特徴のひとつといえるでしょう。2つめは町おこし自体を目的としたものではなく、むしろ場所と作品を一体化させて作っていく、これも大切な特徴です。そして、大きな美術館を使いながら、同時に街なかの魅力を再発見する要素も重要になります。3つめは愛知県の地理的な位置です。日本のだいたい中央にあり、たとえば金沢、京都、熊野、広島そして東京へも、比較的ストレスが少ない時間で行けるので、海外から来た観光客は名古屋を中心にいろいろと動き回ることができます。コンセプトとしては、こうした地理的な特徴を反映できるようにしていきました。「旅」というキーワードはそうしたこともカバーできるわけです。

――そこから旅の休息所を意味するキャラヴァンサライ、そして「虹のキャラヴァンサライ」というテーマに辿り着いたわけですね。
キャラヴァンっていう言葉自体は、わりとすんなり出てきたんですよ。ただ、もうひとつのコンセプトが必要で。キャラヴァンサライだけだと、一言で言えばアートにならないっていうかね。旅のドキュメンタリー番組みたいになっちゃうじゃないですか(笑)。これはアートの祭典なので、それでは困る。最後に虹という言葉が出てきました。レインボー。多様性という意味も含みますし、いろんなシンボルにもなっているものです。僕もそうですけども、芸術祭というのは、日常生活から抜け出して少し違う空間に身を置いたり、作品を見たり、おしゃべりしたりできる特別な場所だと思うんです。それは美術館だけではないし、もちろん家ともオフィスとも違う場所。「サライ」のイメージは旅の中継地点で、少し休息し明日への英気を養う。そこには知らない人たちがたくさんいる。知らない色、知らない音楽がある。それがいいんですよ。

――旅の休憩所のように文化が集う場所が、あいちトリエンナーレになるわけですね。
作品はそれぞれの場所で生まれると思うんです。特にコンテンポラリーアートの場合は、アーティストが自分と向き合って孤独の中で制作するものもあれば、グループを作って複数の人間が一緒に作っていくもの、いろんな作り方があると思います。それぞれの場所で作られたものを、どこで共有するかということですよね。美術館、映画館、コンサートホール、いろいろありますし、多様化もしてきています。街中に増えているカフェもそうですね。ひと昔前の喫茶店とはちょっと違って、本が置いてあったり、トークライブが開かれたり。それもキャラヴァンサライ的な空間だと思いますよね。

――インターネット上での共有ツールが進歩する反面、リアルな場所での交流の重要性が増してきています。こうした芸術祭もまさにそうだと思いますが、その場所に行って見るということが非常に重要な要素になりますよね。
補い合っているとも言えるかもしれないですね。ウェブが発展すればするほど、実際に会うコミュニケーションも濃密になっていくと思います。メールやチャットである程度意思は通じているけれども、それとは質的に違う濃いもの。肉声で語り合うことの大切さにもう一度気づき始めている。普段はルーズな関係性だったとしても、イベントが開かれるとネットを通じて人がパッと集まるみたいなね。どっちを選ぶというよりは、むしろ両方ともお互いを必要としている。その証拠に紙の本ってなくならないし、今回もコンセプトブックやガイドブックは紙で作るわけです。ネットで情報を得る反面、やっぱり手に持って歩くとか、人と一緒に読むとか、そういうことの大切さも同時にある。だからカフェに行ってモニターがあるよりは、リアルに本が置いてあったほうがいいわけじゃないですか。イメージとしては、そんないろんな種類の空間が集合して、全体で芸術祭になっているような感じですね。

――そうした時代性のようなものは意識されましたか?
意識しなくても、生きてれば自然に出てきますよね。さっき芸術祭が増えていると言いましたけど、いろんな理由があると思います。もちろん地域おこしとかもあるとは思いますが、根源的にはリアルな空間で、リアルに人と共有したいということに尽きると思います。CDとライブの関係性、よく言われるじゃないですか。CDの売り上げが落ちていますけど、ライブにはものすごく人が来ているから、音源自体がなくなることはない。こういう時代にライブに行く人が増えるって、よくよく考えると不思議なわけですよね。曲が聴けるからとかそういうことではなくて、人間のパッションを感じるとか、そういうものを求めているんだと思いますよね。

【その②】旅についてに続きます。近日公開予定。

INTERVIEW:阿部慎一郎 PHOTO:川島英嗣

 

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